昭和53年7月20日
鹿児島への里帰りは、いつも明星1号か2号、親としては早く帰りたかったのでしょう。
新大阪22:58発だけれども、夕方から新大阪で待っていました。
ブルトレブームの頃で、次々に来る列車の写真を撮っては、「明星1号、583系」などとメモを取ってる人もいました。
時刻表からもわかるように、当時明星が7往復、あかつき、彗星それぞれ3往復、それに「なは」「安芸」「金星」が一往復づつ。
そのほかに急行「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさに」と宇野行きの「鷲羽1号」がありました。
安芸の発車30分前22:28発の「明星7号」(583系)が発車。かつての「月光」でしょう。
隣の東淀川を通過する様子が見え、EF58に牽引された寝台特急「安芸」が入線しました。
カニを含んで10両の25型100番代の編成でした。
この後、小倉行きのキハ67系に乗り、小倉から583系の「有明」に乗って西鹿児島まで向かいました。
続く。