どうも。

難民と移民は、違う。そんなことぐらいは、常識ですよね?

国を逐われた人=弱者だけは救わなければならん・・・と思うのですよ。

でも、日本というアジアの極東には紛争が遠いものであり、アフリカや中東で起きていることへの理解は少なく、肌身で感じることができないのも事実です。

せいぜいが、アジアの政治犯の亡命受け入れくらいじゃないでしょうか。。。。

 

『ノーナレ』というドキュメントで、あるシリア人家族の難民生活を放映していました。

主人公は、中学生か高校生くらいの娘さん。彼女はすでに日本語を流暢に話し、日本人の友人とのコミュニケーションも取れていて、何ら問題なく馴染んでいるかのように見えます。ところが、彼女が友人らと「カラオケに行きたい」と思っても、彼女のお財布にあるのは千円札一枚だけ・・・これじゃ、いくらなんでも、と見る者は思います。困窮している。。。彼ら家族は、おそらく「縁故」があって、特別に難民申請の通ったほんの10何人の難民のうちの一家族だと思います。

 

では、親世代はどうしているのか。母親は、なんとか自活するために日本語の少なくて済むアルバイトをして家計の足しにしていて、娘から日本語を習い、苦笑いと首を振りつつも必死で日本に順応しようと懸命である。

父親は・・・何もしない。シリアで三ッ星レストランのシェフだった彼のプライドと誇り、シリア人たらんとする習慣が日本を拒否させる。彼は言う『娘は日本人になってしまった』・・・そんな父と母には諍いが起こらない訳がない。

娘は、その言い争いと悪い雰囲気が耐えられない。お兄さんはおそらく大学生だと思うのだが、非常に出てこない・・・たぶん、出演することに抵抗感があったのだと思う。

 

父が、地域コミュニティにシリア料理を教えに行く。

引きこもっていた彼に、ほんのわずかだが笑顔があった。

しかし、それは喜んでいいものなのだろうか・・・。

日本語習得しなければ、円滑に仕事ができないため、満足な収入が得られない。高いスキルがあるのに、それが語学でないばかりに、彼を傷つけてはいないか?

問題が、見る者の目の前に提起され続ける。

 

日本社会は難民を受け入れないことで有名である。たぶん、東南アジアで大規模な紛争が起こったら、政府も考えざるを得なくなるんだろう。地政学というのは、時に残酷なまでの現実を突きつける。

朝鮮半島情勢が、ちゃぶ台返しされて民族大移動が起こったら、受け入れ態勢すら取れずに、大問題になるんだろう。

 

ボクらの作った社会は、余りに閉鎖的で余りに自民族のエゴで凝り固まってた。そのことだけは、ハッキリわかった。

ハイティーンのシリア女性が、自分のアイデンティティに悩まずに済むような社会でない現実だけは、直視せざるを得ない。

 

 

 

ではでは^^メイ吉でした(´・ω・‘)ノ チャオ♪