今年こそ、今年こそ、今年こそ、と、言い続けていまだ出せずにいる小説現代に「今年こそ」出そうと書きかけの投稿予定作を引っ張り出してきた。


ひどかった。


悲しくなった。


また私は無から世界を作り出さねばならない。


なんて、嫌なら止めればいいんだけど。


面倒くさいと、書きたいが、天秤の上で揺れていて、どちらもどっちで決着がつかない。


今日は少しだけ書きたいが勝ったから、外付けHDまで起動したりしてみたけれど、読み返してどん引いてブログに逃げてきた。


書き直しだ。


書き直しだ。


書き直しだ!


そしてまた見つけたはずのプロットが、するりと私の手の平を抜けてどこかに隠れてしまった。


もう小説が私を拒んでいるとしか思えない!


今度見つけたらコピーを重ねて部屋のいたるところに貼り付けの刑にしてやろうか。


そんなことをしたら、私が追い詰められて張り付けにされてしまうんだろうけど。


最近の私は体と心がすれ違って離れていって、その狭間で違和感に首をかしげながら雑務をこなす毎日を送っている。

体は休めと白旗を振るのに、気持ちは気楽に大丈夫と笑うから、何となくそれに引きづられて体を運ぶ。

たいした事もしていないのに時間がやけに早く進むのは、多分、頭の回転がいつもの数倍遅くなっているから、感覚が鈍化しているから。


なぜだろう、客観的に見て、そんな大変な生活を送っているわけでもないのに。


早くここを抜け出さねば。


抜け出さねば。


そのためにも、やはり、書こう。

こちらに戻ってこようと思った。


以前創作記録用として書いていたブログを開き、端から記事を読んでいくと、だんだん胸が痛くなり息が苦しくなった。


紛れもなくそこには命があった。

落とした言葉の一つ一つに息があった。


あの時の自分に戻るには、また身を削って精神を澄まし、痛みに耐えて文章を紡がねばならない。

その中にある恍惚と喜びが唯一の救いだったとして、今の私にはその褒美より、そこに至る苦しみと負荷こそがより勝るだろう。


書くことをやめ呆けた時間の空洞に、何を詰め込もうかと手繰り寄せた過去の私の楽しみはすべて、いつの間にやら輝きを失い大きく開いた穴の中をころころと無慈悲に転がり落ちていった。


結局引き戻されたこの世界を、私はまた彷徨う事が出来るだろうか。


胸を圧す熱意は徐々に私の体を蝕むだろう。

今の私はけして円満とは言えない現実世界との狭間で上手く立ち回ることが出来るだろうか。


緩やかな頭痛と共に両手の感覚が鈍る。

この重さ。


懐かしさと共に、ぎゅっと、握り締めて。

私は時間の使い方がヘタだと思い続けてきたけれど、実は気持ちの切り替えがヘタなのだろうか。


最近の職場のシフトがあまりにも変則的で気が抜けない。

明日の予定がわからないのは当たり前。へたすれば当日に変更されることもしばしば。

そのくせ閑散期だから仕事自体は退屈ではりがなく、自分で自分のケツを叩かねば立っているのもつらいほど。

時間の過ぎるのも遅く、まだかまだかと時計ばかりを気にしてやる気は上滑り。

もくもくと雑務をこなしながら、何か楽しい予定を組んで耐え忍ぼうと頭を働かせるも、結局わからぬ休みの予定に腰が砕ける。


中途半端な自由時間は気ばかりが焦り、体は動かず。

最低限の家事をこなして、座ったパソコンの前、開いたエディタを閉じたり、また開いたり。


導入部のもたつきが気に食わず、こんな出だしの折れた小説誰が読むかと腹を立て、投げ出し、気をとりなおしてざっくり切り捨てたところで白紙に文字は駆け出さず。


逃げて、逃げて、また逃げて。


それでも追い来る黒色の靄は、よく見れば自身の背から滲み出し、肩から首へとまとわりついて重くのしかかるのだった。


……


やってられっかー!



現実では叫べないのでネット上で言ってみる。そうよ私は半分バーチャルの子。

いいじゃないのよ現代っ子。オンとオフを行ったり来たり。上手くバランスとってりゃ問題ないじゃなーい。


けっ。


やさぐれtabi子はそれでも元気に出社します。

転職とかのリスク考えりゃ今の職場にしがみついてた方が楽だもんね。

利害関係が一致している限り居残ってやりますよ。


たちあがれ、自分!

※政的な意味はありません。


というわけなんで出社離脱~。

小すばまで3ヵ月ちょっと。大丈夫なのか、おい。