弥生時代を長めに定義するならば紀元前10世紀から3世紀中頃。渡来人によって大陸の文化がもたらされ縄文時代が終わり、日本各地に小国が生まれ古墳時代に移行した時期までを指す。縄文遺跡に続き、弥生時代の遺跡もいくつか回ってみた。

 

・人類学ミュージアム

山口の人類学ミュージアムは多数の弥生人の人国が見つかった土井ヶ浜遺跡にある。レンタカーを借りてなんとか行ってみた。

 

300体の人骨が見つかった遺跡跡はドーム内に保存されている。残念ながらレプリカだが、なんとなく雰囲気は掴める。

 

面白いことにここで見つかった人骨は距離的に近い朝鮮半島のものとは異なっており、中国山東省のものと極めて類似性が高いことが判明したらしい。現代の日本人は縄文系の血よりも弥生系の血をより濃く受け継いでいるそうだが、大陸の様々な地域からやってきた人々と混血、あるいは置き換わったと考えて良いだろう。少なくともこの遺跡の人骨は渡来して間もない純粋な大陸系の血で、その当時の文化を携えていたと考えられる。

 

弥生時代が始まる前は縄文人の人口が壊滅的に減少していた。原因は不明。人口分布は東日本に偏っており、西日本の人口はスカスカだった。農業技術を持った渡来人が移住するのは容易だっただろう。

 

・吉野ヶ里遺跡

100名城巡りで訪れた吉野ヶ里遺跡は弥生時代の集落跡だった。吉野ヶ里遺跡が100名城に指定された理由は防御のための堀と柵があったことだ。おそらく日本最古級で最大の要塞だった。高床式の建物跡や青銅器なども見つかっており、クニができ古墳時代に移行する直前の遺跡だと思われる。とにかくここは広い。時間が無くちゃんと見れてないので再訪したい。

 

・出雲大社

弥生時代を語る上で絶対に欠かせないのは銅鐸。この写真を撮るために出雲歴史博物館へ再訪した。出雲で出土した銅鐸45個を国宝とし、ほとんどをこの博物館に展示している。全国で500個しかない銅鐸を一度にこれだけ見られる場所は他にない。

 

この博物館は国宝の銅剣もすさまじい。数もさることながら状態も良い。

 

出雲の地は古来から信仰の対象とされており、全国から人が訪れていたと思われる。

 

・銅鐸博物館

滋賀県にある銅鐸博物館へも行ってみた。野洲ここは出雲と並ぶ銅鐸の出土地だが、ほとんどレプリカかつ撮影禁止。しかし唯一の銅鐸専門の博物館ということもあり、じっくり学ぶことができた。銅鐸は朝鮮の鐘が元になっており、日本でも最初は小さかった。それがどういうわけかどんどん大きくなり、鐘として使えないほど大きくなってしまった。ところが古墳時代になると全く消えてしまった。

 

・金印

遂に福岡市立博物館で金印を見ることができた。西暦57年、漢の光武帝より奴国の王が金印を授かった。歴史書には登場するが、長いことその証拠が見つからなかったが、江戸時代に農家がひょっこり見つけてしまったのだ。贋作説もあったが、当時の考古学の知識ではこれを再現するのは不可能だった。部屋が暗く写真はぼけてしまったが、確かに「漢委奴国王」と書かれていた。

 

・奴国の丘歴史公園

 

 

春日井市の奴国の丘歴史公園へも訪れてみた。これだけのものが出土するならば古墳時代と呼んでも良い気はするが、あくまでも弥生時代。秦の始皇帝が中国を統一し、それが漢に引き継がれ、黄河の奥地の文明は遂に朝鮮を経て九州に辿り着いた。風習、文化、技術を継続的に取り入れ、それが徐々に日本の東へと伝播していった。とにかくプレ古墳時代と呼ぶべき遺跡や遺物が九州北部には多いのである。