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アフリカで生きる

ウガンダでビジネス留学中。日々、アフリカンビジネスの最前線で戦っています。
そこには無限の可能性と成功を夢見る10億人の人々がいる。
アフリカで金儲けだけを考えたら、どんなに楽だろう?
でもビジネスでこの国の未来を良くできたら、どんなに素晴らしいことだろう。

こんにちは

まさかず@ウガンダです。
ウガンダはちょうど乾季に入り、カラッとした暑い日が続いております。


今日は本来なら、今やっているビジネスのお話をする予定でしたが、
もう少し、整理する時間がほしいと思っています。次書く記事は絶対に面白い内容になるはずです。


そんなわけで今日はビジネスという視点から外れて、この国の援助について独自の視点で斬りこみたいと思います。


私はこのブログではいつも飾らず、本音を書くことを心がけています。
なので、この記事を読んで反感を持つ方がいらっしゃるかもしれません。その時はごめんなさい。

最後まで読んで頂ければ幸いでございます。


ウガンダ人の生活を見て、ほとんどの日本人はこう言うはずです。

「貧しいね」と。

ただ考えてほしいのは、それは日本人の生活を基準にした"貧しさ"であって、彼らからするとその生活は普通なのです。

僕は4カ月間このウガンダを見てきましたが、貧しくてかわいそうだと思ったことは一度もありません。それはバックパッカーとして世界を常に見ているからかもしれませんが、この生活よりももっと過酷な状況は世界中いっぱいあります。

以前お会いした日本人の方にウガンダのスラムに行ってみたらと勧められました。
彼女はその状況を見て、なんてかわいそうな状況なんだろうと感じ、言葉を失ったそうです。


そして、次の日行ってみると、なんてこっちゃないトタンでできた家からなる村でした。

男たちは少し危ない採石場で働き、子どもたちは小さな石を細かく砕いていました。

僕が思ったことは「ちゃんと仕事あるじゃん。」です。
子どもたちに話しかけると皆英語をしゃべっていました。

見た目はトタンできたぼろい村ですが、水道があり、仕事もあり、学校もある。
昼間からお酒だって飲んでいました。

それだけで十分じゃないでしょうか?


ライフラインの一つに電気があります。
私たち先進国の人々にとっては電気がないのは死活問題です。

でもウガンダの農村部はどうでしょうか?
本当に彼らに電気は必要でしょうか?

彼らが電気を使うのはせいぜい携帯の充電の時くらいでしょう。
それ以外なら、ろうそくの明かりで十分です。

僕だって電気がない時はろうそくの明かりで勉強してるし、家事だってやります。


それなのにあるNGOは高額な太陽光パネルを取り付けたり、高額な発電機を寄付しています。
それは本当に必要なことでしょうか?


しかし、本当の問題は

「この援助というものがビジネスになってしまった」ことだと思います。


まさに貧困ビジネスです。


ウガンダをはじめ途上国には援助業界なるものが存在します。
それは援助を"あげる側"と"もらう側"の二つに分けられます。

ドナーである先進国、国連や世銀、国際NGOとReceipient(受け取る側)である被援助国の政府、政府系機関、地方政府、末端の現地NGO、教会などです。

JICAもこの援助業界に入ります。

途上国ではこの業界が最も儲かる業界かもしれません。儲かるというのは語弊がありますが、優秀なウガンダ人は皆、この援助業界に入りたがります。簡単に言うと給料が良いんですね。
そして、地味なデスクワークをさせられるわけです。


ウガンダにおけるこの業界は本当に巨大です。
考えてみてください。ウガンダ、そして途上国全体で一体どのくらいの人がこの業界で働いているんでしょうね。

さて、質問です。これだけ大きくなった業界が食っていくにはどうしたら良いか?


それは


援助を増やすしかないですよね。



例えば井戸の問題。ウガンダでは作られた井戸の多くが管理不足で使えなくなっています。
しかし、毎年多くの井戸が作られています。
普通なら、まずは壊れた井戸を修理し、しっかり管理する方が優先されますよね?そっちの方がコストが安いわけで。
しかし、それではお金をもらえない。

だから、新しい井戸を次から次へと作るわけです。
自分たちが食っていくために。自らの保身のために。

日本の公共工事の問題と似ていますねw


しかしです。。。。。。。。。


一番の問題はそれによってもたらされる弊害です。


それは市民の精神面に与える影響です。

援助は人間性すら変えてしまいます。
ただでもらえるなら、それに甘えてしまいますよね。

食糧をただでもらえるなら、誰が農業をやろうと思いますか?


一つ例を挙げます。
私が最近お邪魔しているNGOの日本人学生が経験したことです。

彼はウガンダ人の学生たちにサッカーボールがほしいと言われたそうです。
今使っているボールを見せてもらうと、本当にぼろく、形がないような感じでした。

その日本人学生は長く使ってほしいという思いから、値段の高いサッカーボールを購入し、彼らにあげました。彼らは本当に喜びました。


しかし、一週間後彼らのところに行くと、彼らはそのボールではなく、前のぼろぼろのボールを使っていました。「何で?」と聞くと、「このボール使いづらいんだもん」と言われたそうです。


問題を整理するまでもないですが、

①あげる側はまずは、ボール自体が本当に必要なのか調査しなかったこと。
そしてどんなボールが彼らに必要とされているか調べなかったことです。
結局、無駄なものをあげてしまったわけなので。

②もらう側の問題は、もらうことが当たり前だと思っていることです。
別に本当に必要のないものでも、欲が働いて、求めてしまうわけです。


もし彼らが自分で働いて買ったボールなら大切にしますが、結局もらいものなんて彼らにとってはその程度のものでしかないわけです。


まさに今の援助業界の問題を表わしています。


最近「権利」という言葉をよく耳にします。
女性の権利、子どもの権利、最低限の生活を送る権利など、世界中で多くの権利が今叫ばれています。


しかし、皆さん。「権利」の裏側にあるもう一つの言葉を忘れていませんか?


そう、「義務」です。


義務を果たして初めて、権利を受けることができます。

日本では、あなたが一生懸命働いて、税金を払っているから、公共サービスを政府から受けることができるのです。


こんな当たり前のことをウガンダ人は理解できていないわけです。

例えば、子どもを学校に行かせることができないと言ってきた人がいます。
その家に行ってみると子どもが10人もいました。月3000円の収入で10人の子どもは育てるのは普通無理でしょw こんな人に何かしてあげることが本当に大事なんでしょうか?


こんなのてめえの責任ですよね。


トイレがほしいと言ってくる人がいれば、てめえで掘って作れと僕は言いたい。
トイレなんて簡単に掘れます。

とにかく甘えるな。自分の責任は自分で取れ!人に頼るのではなく、自分で何とかしろ!


これが私の意見です。



もちろん援助は大事です。
しかし、それは本当に必要な場所と人に、必要なものだけを送るという、当たり前の援助のことを言います。


私にとって援助業界に入る選択肢はありません。
私にとってビジネス以外の選択肢はありません。


これが私がずっと持っている想いです。


ビジネスだけが世界を良くすると信じています。


もし、私がビジネスをして従業員を雇うことがあり、もし彼が甘えた考えを持っていたら、しっかりと教育したいと思います。

ついてこれず辞めるやつがいるかもしれません。
せっかく教育してやめられては会社にとっては大損害です。

しかし、去る者は追わず。また新しい者を雇い一から教育すれば良い。

僕は絶対に彼らの甘えを許したくありません。


それが日本のNGOが良く言う自立支援ってやつなんじゃないでしょうか?


自分の仕事をしっかりやって初めて給料はもらえますよね?

働くってそうゆうことですよね?


今日は思うがままに、私が思う援助というものを書いてみました。

これは援助における一面です。
必要な人にとって、援助によってもたらされる恩恵は測り知れません。


だいぶ長くなってしまいました。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。


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まさかず@ウガンダ