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明智光秀生存説の話で、光秀が天海と名乗り

天下平定した想像話です。

良かったら読んでください。


斎藤利三と明智左馬介は、真田家支援の命を受けて高野山を目指した。


斎藤利三と明智左馬介も山崎の戦いで脱出して、比叡山で明智光秀に合流していた。常に明智光秀と共に過ごし、自身も僧侶としての修行を行い、出番を伺っていた。比叡山でずっと過ごしていた訳ではなく、修行の傍ら情報収集に諸国をまわっていた。

足腰は衰えてはいない。剣の腕も落ちていないだろう。


ルートは東高野街道を通り九度山を目指すルート。

距離にして110km

年齢はすでに60歳を超える年齢ではあったが、2人には苦もない距離だった。

天海の名で通行手形も受け取っているので、関所も楽に通過出来る。眼光は衰えていないが、顔は年齢が出てきたので、関所で顔を見られてもまずバレない。ましてや、あれから20年も時間が経っている。

まず、分かる人はいないだろう。


顔は年月と共に変わっていったが、明智光秀の意思が分からないように、2人の志も変わっていなかった。


京都を出て3日目に九度山に到着した。

徳川軍の見張り役はどうやら見当たらない。

徳川軍の和歌山を任せられているのは浅野家。

浅野家の役人はいるだろうが、恐らく地元民に見張らせているのだろう。


2人は真田家を訪ねた。

真田昌幸と真田幸村が出迎えた。

穏やかに見えるがスキのない雰囲気。

天海からの手紙を昌幸に渡した。


手紙に目を通して昌幸は2人を見た。


利三がまず話をした。

支援をしたい。しかしながら監視の目もあるので、何か監視を欺くためのモノがないか?訪ねた。


昌幸は真田紐がちょうどいいだろうと提案してきた。真田紐とは、一般的な「組み紐(くみひも)」とは異なり、縦糸と横糸をガッチリと織り込んで作る世界で最も幅の狭い織物(伝統工芸品)と言われているものであった。今は部下たちが堺商人と偽って販売しているらしい。さすが真田昌幸である。


利三からの提案は、真田紐を近江商人に製造販売させる。それで得た利益をこちらにまわす。もし、金額が大きくなるようなら、商人に預けておく。徳川軍を欺くため、今までのように自分たちでも製造販売は継続して欲しい。材料に関しては近江商人に運ばせるというものだった。


昌幸は笑いながら、真田信之や小山田茂誠への仕送り依頼の手紙は継続しておく。信之は嘘が苦手だから騙したままにしておいた方が都合がいいと話していた。


左馬介からは、諸国の情報、徳川家・豊臣家の情報、最新の鉄砲の情報など話をした。

そして、島津義弘がどの様にして関ヶ原から九州に生還したか、その凄まじい戦術により徳川軍は正面突破に対してトラウマを持った話など、関ヶ原の話を聞いた。


時間の許す限り真田親子と斎藤利三、明智左馬介は話をした。


そして、2人は『また来ます。』と告げて帰って行った。

2人から報告を受けた天海もまた密かに動いた。

島津義弘へ真田紐を預けて、千利休にこの紐を見てもらってくれと頼んだ。義弘は千利休の熱心なお茶の弟子であった。義弘から紐を渡された千利休は一目見て察し、お茶の道具を真田紐で縛りお茶会に出かける様になった。

行く先で真田紐は真田が作った紐で、丈夫で使いやすく他の組紐とは質が違うと言いまわった。

その効果もあり、真田紐は全国で人気の商品になっていったのである。


つづく