寿城池 日本人:水崎林太郎が造った大邱に残る人造湖 | 舟水の世界ごゆるり街歩き

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               NHK教育番組「たんけんぼくのまち」で強烈な刺激を受け、小学校の頃から地理大好き人間。日々の散策からちょっとした世の中の宝箱を覗いて見ませんか?

韓国の大邱にある寿城池(スソンいけ、スソンモッ、수성못)は、農業用貯水池として日本人によって造られた人造湖として大邱市民に広く知られています。この寿城池を造った日本人は、水崎林太郎という人物でした。彼は岐阜町長を歴任した後、1915年に日本から大邱に開拓農民として渡ります。しかし、その地で干ばつや洪水に苦しむ大邱の農民の姿を目の当たりにすることになります。考え抜いた水崎林太郎は治水事業に取り組むことを決意します。朝鮮総督に直談判し、最初は「日本統治下の韓国で韓国人の暮らしをよくする必要はない」と支援を断られるものの、「韓国人の生活向上が、最終的には日本にとってもよいこと」と粘り強く説き伏せ、10年もの歳月と多大な苦難を乗り越えて、寿城貯水池を完成させました。現在、「寿城池」とよばれる貯水池のおかげで荒野は美田に生まれ変わり、250万坪(東京ドーム約180個分)を超える水崎農園の礎となりました。そんな寿城池は時代の流れから灌漑ため池としての役目を終え、現在では大邱市民憩いの場として定着しており、日本と大邱を結ぶ絆として、今でも韓国の大地にしっかりと根付いています。

 

 
 

(2018年5月撮影)

満々と水を湛える寿城池です。 約6万坪もの広さのある「寿城池」は、現在の寿城観光ホテルのそばにあり、大邱を代表する市民の憩いの場所になっています。日本でいえば上野公園の不忍池のようなイメージです。周囲には緑があふれ、春は桜が満開になります。夏は池の真ん中で噴水ショーもあります。その昔は、冬にスケートを楽しむこともできたそうです。

 

 

 
 
 

 

寿城池(수성못/スソンモ)の場所です。

大邱地下鉄(モノレール)3号線:寿城池駅から徒歩約5分。

 

 

 

(2018年5月撮影)

大邱地下鉄(モノレール)3号線:寿城池駅から歩いて向かいます。

 

(2018年5月撮影)

駅周辺の道路標識にもしっかりと寿城池と書かれていますので迷うことなく行けます。

 

(2018年5月撮影)

日式レストランの横を通り過ぎていくと寿城池の入り口が近づいてきます。

 

(2018年5月撮影)

横断歩道付近にも道標があります。

 

(2018年5月撮影)

交差点の横断歩道を渡るとこのハングルが見えてきます。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

交差点から大通りを渡った現在地が赤い点になります。

 

(2018年5月撮影)

池に向かって通り沿いを歩いて行きます。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

池に面する広場は公園として整備されています。

 

2018年5月撮影)

訪れた5月には、庭園に白い花が咲き乱れていました。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

公園広場から見た寿城池。

 

(2018年5月撮影)

公園にはどでかい石碑が鎮座しています。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

寿城池をぐるりと一周、散策コースが整備されています。一周約30分程かかります。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

後ろに小高い山が迫っているため、山の湖の湖畔のような雰囲気が漂っています。

 


(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

訪れた当日は小雨が降りしきる中でしたが、山に雲がかかり、これはこれでいい雰囲気でした。

 


(2018年5月撮影)

対岸にはスワンボートがズラリと並んでいます。

 

(2018年5月撮影)

デートスポットということもあり、寿城池を取り囲むように、お洒落な飲食店が立ち並びます。

 

(2018年5月撮影)

人造湖だけあって、水辺は画一的な直線となっていますが、自然な感じに近い状態で植物が配置されています。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

散策コースの所々に展望デッキが設けられています。

 

(2018年5月撮影)

みなさん、ごゆるりごゆるり散策を楽しんでいます。

 

(2018年5月撮影)

こちらの展望デッキはちょっとした撮影スポットとなっています。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

池には小島がひとつ浮かんでいて、いい意味でアクセントになっています。

 

(2018年5月撮影)

上野公園の不忍池の散策コースと同じ雰囲気がします。

 

(2018年5月撮影)

私は単独散策ですが、若いカップルのデート姿をたくさん目にします。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

こちらも小島を背景とした撮影スポットのようです。

 

(2018年5月撮影)

途中散策コースの一部が池の上に整備された箇所があります。手摺りには街灯も設けられており、夜間はロマンチックなムードになりそうなコースです。

 

(2018年5月撮影)

池のほとりに並んでいる木は桜の木です。春に訪れると桜が咲き乱れる、とても美しい光景が広がる場所になります。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

スターバックスも出店するようなエリアだということが分かります。

 

(2018年5月撮影)

地元の人々も散歩コースとして利用する大邱市民の憩いの場です。

 

(2018年5月撮影)

小雨が降りしきっているため、スワンボートの利用者は全くいませんでした。ちなみに韓国ではアヒルボートと言われているそうです。

 

(2018年5月撮影)

皆さん、暇そうにしています。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

案内板を見ると、小高い山を軽く散策できるハイキングコースがあるようです。この現在地となっている②番のポイントが水崎林太郎のお墓がある場所へと繋がる道になります。お墓は道路から山側に入った場所にあります。(ちなみにこの地図は南北が逆転しています)

 

赤●の場所が水崎林太郎のお墓になります。道路沿いにある飲食店の裏側の丘陵地にお墓があります。

 

池沿いの道路からは黄緑の脇道へと入り、お墓にアプローチする形になります。

 

(2018年5月撮影)

池沿いの道路からの脇道への入り口には、かなり見つけにくいですが、この標識があります。

 

(2018年5月撮影)

脇道に入り山側に向かって進んでいきます。

 

(2018年5月撮影)

歩を進めてくと脇道の右側にこちらの看板があるので、矢印に沿って曲がっていきます。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

案内板の通り曲がると、このような細い道が奥へと続いています。ちょうど私が訪れた時に、韓国人のご夫婦がちょうどお墓の観光(お参り)に訪れている最中でした。この写真では道の奥の左側に人が立っている様子が伺えますが、そこがまさに水崎林太郎のお墓になります。

 

(2018年5月撮影)

お墓の手前に水崎林太郎に関する説明が掲示されています。その掲示板の右側には記帳ノートが置かれたボックスがあります。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

こちらが水崎林太郎その人です。仙人のような髭を蓄えた方です。

 

(2018年5月撮影)

水崎林太郎は旱魃と洪水によって荒れ未墾地が多かった現地のために土地改良組合長として貯水池を造ることを決め、朝鮮総督府の支援一万二千円(現在の十億円相当)と私財を投じ、十年の歳月をかけて築造工事を行い寿城池を築造しました。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

ボックスの扉を開けると記帳ノートとペンが中に入っています。

 

(2018年5月撮影)

中を開くと、意外と多くの日本人がここを訪れていることに驚かされました。私もそんな中の一人となりましたが。もちろん韓国人の記帳もあり、わざわざお墓詣りに来ていることが分かります。お墓の場所は、山の麓の行き止まりになるような場所で、水崎林太郎のお墓目的でないとまず、人が来ないような場所です。ここに記帳があるということは、たまたま訪れた人ではなく、お墓があることを知っていて訪れた人ばかりだということです。

 

(2018年5月撮影)

この掲示板の右隣(写真の右側)にお墓はあります。

 

(2018年5月撮影)

こちらが水崎林太郎が眠るお墓です。1939年に大邱で生涯を終えた林太郎は、「寿城池の見えるところに、韓国式の墓で眠りたい」と遺言を残し、その言葉どおり、彼のお墓は今でもここにあります。

 

日本が関係する韓国の歴史というのは度々悪い意味で作り上げられるということが散見されます。寿城池もそういった意味では、反日家からは「昔からため池だった場所ではないか!日本人が造ったのではなく、元々は朝鮮人が造ったものだ!」と言った異説を唱える動きもあったようです。しかし、大邱市は公式に日本人が造った池であるとの見解を示しています。

 

これは当時、水崎林太郎と一緒に寿城池や水田の造成に協力し、終生の友として交際していた今は亡き韓国人の徐寿仁氏の影響が大きいのです。徐寿仁氏は水崎林太郎亡き後、その墓をずっと守り続けてきた人物で、その墓守は徐氏亡き後、彼の子供たちがこれまで引き継いできた経緯があります。徐氏の三男である徐彰教さんは自費で顕彰碑まで作り、最初に水を引いた4月1日にちなんで、毎年4月に水崎林太郎の功績を称える活動をしています。そこまでするのは「水崎林太郎が本当に朝鮮人のことを思い、この池を造成してきた」という話を父である徐氏から伝え聞いている証でもあります。こういった当事者の歴史的事実を語り継ぐ徐彰教さんがいるからこそ大邱市としての見解も、徐さん一家のこれまでの取り組みを尊重するものであり、その事実を公式見解としているものと思われます。この水崎林太郎のお墓には、墓を守ってきた徐さんの遺骨の一部も収められているそうです。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

後年に徐さんの三男によって建てられた顕彰碑です。毎年彼の命日である4月には大邱の関係者、岐阜からも水崎林太郎の子孫や関係者が訪れ、追悼式が行われています。ただ、残念なことに政治問題などで日韓関係が悪化すると「なぜ日本人を顕彰するのか」などと徐さんの三男の自宅に嫌がらせの電話が入ることもあるそうです。徐さんは「恩恵を受けたことに目をそらしていることが悲しい。顕彰碑によって事実を知る人が広がってほしい」と願っているそうです。

 

個人的に、この水崎林太郎のストーリーを知った時、八田輿一の名を思い出せずにはいられませんでした。八田輿一は日本統治時代の台湾で、農業水利事業に大きな貢献をした人物です。台湾の中学校の教科書に必ず出てくる人物で、台湾人で知らない人はいないくらいです。当時アジア一といわれた烏山頭ダムの灌漑用水路の建設に現場監督として尽力し、嘉南大圳と呼ばれる水路で農業が難しいとされた大地を見事に豊かな農地へと変えた大事業を成し遂げた人物です。規模は異なりますが、水崎林太郎と八田與一、どちらも日本統治時代に地元のために活躍した日本人ですが、それに対する扱いが韓国と台湾では大きく異なるという気がします。寿城池は、終戦後も大邱の農業に対して非常に大きな貢献をし、利益を得た人も大勢いたはずです。日本の良い点には目を背け、悪い点にだけフォーカスし拡大すると言ったこれまでの韓国の歴史政策では致し方ない事かもしれませんが、水崎林太郎の歴史的事実が小さくながらも大邱で語り継がれているのは貴重なことであると言えます。

 

(2018年5月撮影)

水崎林太郎の地元、岐阜市の市長もこちらに訪れていることを伺い知ることが出来ます。

 

(2018年5月撮影)

お墓は、まさにここから山が始まるという地形の場所に位置しています。

 

(2018年5月撮影)

寿城池に戻ると、噴水が上がっていました。

 

(2018年5月撮影)

春から夏にかけては夜はレーザー光線が飛び交う噴水ショーを見る事が出来るそうです。昼間でしたので、レーザー光線はありませんでした。

 

(2018年5月撮影)

寿城池の土手の脇に中古飛行機をカフェにしたお店があります。

そちらの記事は↓です。

 

 

 

以上、大邱市民の憩いの場:寿城池の様子でした。寿城池訪問の際には、20世紀はじめに大邱の治水事業、農業の発展に多大な貢献をした水崎林太郎という日本人がいたということに想いを馳せながら散策してみて下さい。

 

 

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