前回のブログで日本軍の司令部が置かれていた外洋浦マウルの集落の様子をご紹介しましたが、引き続き外洋浦マウルのメインの観光スポットでもある旧日本軍の砲陣地をご紹介していきたいと思います。外洋浦マウルは日露戦争の際、日本軍がロシア艦隊の鎮海湾進入を防ぐために鎮海湾要塞司令部の駐屯地となった場所です。
(2018年5月撮影)
外洋浦マウルに残る旧日本軍砲陣地です。釜山旅行で時間のある方、日本軍の遺構に興味がある方にはお奨めの観光スポットです。
外洋浦マウル砲陣地の場所です。
グーグルマップでも砲台陣地跡がはっきりと分かります。
外洋浦マウルへの行き方はこちら ↓ の記事を参考にされてみて下さい。
それでは、ここから 釜山に残る日本軍の遺構 外洋浦マウルごゆるり散策① の記事の続きになります。
(2018年5月撮影)
外洋浦マウルの海を見たところで、今度はこちらの道を山側に向かって真っすぐ進んで行きます。この先に観光のメインである日本軍の砲陣地跡があります。
(2018年5月撮影)
どこからともなく現れた黒白にゃんこです。日向ぼっこで出てきたようです。
(2018年5月撮影)
右手の白い建物は民宿のようです。釣り客が寝泊まりするくらいでしょうか?
(2018年5月撮影)
長い屋根のこの家は日本軍の砲台司令部事務所だった建物です。
(2018年5月撮影)
建物を横から見てみるとこちらも民宿を経営しているようですが、今でもやっているのか不明です。
(2018年5月撮影)
平屋建ての長屋はいかにも日本という感じです。
(2018年5月撮影)
こちらも当時は砲台を担当する兵士が住んでいたのかもしれません。
(2018年5月撮影)
こうしてみると、沖縄の米軍基地内の平屋住宅にも似ています。
(2018年5月撮影)
こちらは当時のトイレ跡です。土台だけが残っています。左側の側溝のようなところが立ちしょんべんエリアです。右側が大便用トイレで6基設置されていたようです。コンクリートの上に木材の足場を設け、穴の下に大きなバケツを置き、後ろの開口部からバケツを交換していたものと考えられます。
(2018年5月撮影)
砲陣地の他に、山岳堡塁や観測所があるようですが、今回は砲陣地(火薬庫)の見学に留めます。
(2018年5月撮影)
砲陣地の入り口に着くと、手前に石碑が建てられています。
(2018年5月撮影)
司令部発祥の地の碑、この砲陣地は明治三十八年四月に開設されたそうです。
(2018年5月撮影)
石碑の裏には昭和11年と刻み込まれているので、1936年に建てられた記念碑です。月日が経過しても石に刻み込まれた文字というのは、しっかりと残っています。
(2018年5月撮影)
(2018年5月撮影)
石碑の向こうには、1904年から建造された砲台陣地の跡が広がっています。
(2018年5月撮影)
断面が山のような形をしているのは弾薬庫です。上空や遠くから見えないように弾薬庫の上は植物が植えられカモフラージュされています。個人的には、戦時中の飛行機の格納庫みたいな形状をしているように見えました。
(2018年5月撮影)
弾薬庫の壁面のくぼみは、大砲を発射した時の騒音を吸収するためのものです。
(2018年5月撮影)
弾薬庫の入り口は中心ではなく、少しずらして造られています。
(2018年5月撮影)
こちらはお偉いさんが執務する幕舎と大砲を発射する時の待避所を兼ねた建物です。
(2018年5月撮影)
(2018年5月撮影)
弾薬庫と同じように、上に竹などを植えて建物が見えないようにカモフラージュされています。
(2018年5月撮影)
(2018年5月撮影)
幕舎の中から見た弾薬庫です。
(2018年5月撮影)
こちらは弾薬庫の入り口です。
(2018年5月撮影)
弾薬庫が保管されていた部屋です。このような部屋がいくつも連なっている構造をしています。
(2018年5月撮影)
床面の隅(角)には小さな穴が開けられているのですが、これは湿気がたまらないようにするための造りだそうです。こちらの弾薬庫の部屋で面白い発見がありました。右側の壁に穴が開いています。
(2018年5月撮影)
壁の穴を見てみると弾薬庫の材質がよく分かります。海岸で採取した石をコンクリートに混ぜ込んで造られていました。
(2018年5月撮影)
外観も一見コンクリートのように見えますが。。。
(2018年5月撮影)
中はこんな感じです。丸い石ころが、海岸で採れた石だと証明しています。
(2018年5月撮影)
コンクリートが崩れ落ち、だいぶ老朽化している箇所がありました。
(2018年5月撮影)
近くで見るとこんな感じです。これを今、日本でやったら完全手抜き工事ってなるのでしょうね。。。
(2018年5月撮影)
左に見えている階段から弾薬庫の上に登り全体像を撮影しました。円形のくぼみは280mmの大砲を据えていた砲床です。間に弾薬庫をはさんで、大砲は全部で6門配備していました。写真では円形の砲床が2つですが、奥に2つ、手前に2つ砲床が隠れています。
(2018年5月撮影)
土手の根元が踏み荒らされ砂が崩れています。その砂が砲床の中に入り込んでいます。
(2018年5月撮影)
見えている山の上には観測所があり、そこで得た敵の方角や距離などに応じて砲台の向きや角度を変えていたそうです。
(2018年5月撮影)
弾薬庫の上は土手のようになっており見晴らしがいい感じです。
(2018年5月撮影)
(2018年5月撮影)
これは後からだと思いますが、土手の上も歩きやすいように整備されています。
(2018年5月撮影)
砲陣地入り口近くの砲床は砂で埋まり気味です。
(2018年5月撮影)
土手の先の視界には海が広がっています。
(2018年5月撮影)
こうしてみると完全に自然と一体化しているのが分かります。
(2018年5月撮影)
外洋浦マウル、砲陣地があるのは、この地図の道の分岐の部分です。山道をさらに進めば、島の南端にある灯台に辿り着くことが出来るようですが、この灯台は軍事施設につき見学には許可が必要なので簡単には訪れることが出来ないようです。
いかがでしたでしょうか。旧日本軍が造った100年以上前の砲陣地が当時のまま残されていることに少なからず興奮を覚えます。釜山は何回も通っている!という方でも外洋浦マウルの砲陣地を訪れたことがある方は少ないと思います。時間のある際は是非、趣向を変えて訪れてみてはいかがでしょうか。
以上、外洋浦マウルごゆるり散策でした。
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