釜山市立公園墓地 日本人墓地と李秀賢の眠る墓地 | 舟水の世界ごゆるり街歩き

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               NHK教育番組「たんけんぼくのまち」で強烈な刺激を受け、小学校の頃から地理大好き人間。日々の散策からちょっとした世の中の宝箱を覗いて見ませんか?

2018年5月1日、在釜山日本国総領事館裏での徴用工像設置騒動の一部始終を現場で見学後、電車に乗って釜山市立公園墓地までやってきました。訪れたのは日本のゴールデンウィーク期間中です。日本人観光客などほぼほぼ訪れることが無い場所をGWに散策です。

 

 
 

(2018年5月撮影)

山肌を綺麗に整備して完成した釜山市立公園墓地です。

 

 

 
 
 

 

 

 

釜山市立公園墓地の場所です。

地下鉄1号線:梵魚寺駅下車2番出口から徒歩10分ほどの場所です。

 

 

 

 

 

(2018年5月撮影)

ゴルフ場を整備するかのような規模で整備された墓地となっています。

 

(2018年5月撮影)

小高い山の上から見下ろす墓地は日当たりが良く、段々畑のように整備されています。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

墓地は山の中を切り開いて造成した土地で、区画が番地のように標記されています。

 

(2018年5月撮影)

墓地で日韓の文化の違いを目にすることができます。墓地に飾られているのは造花です。

 

2018年5月撮影)

墓地は墓石ばかりだと心理的に異様な非日常的光景に映りがちですが『造花』を飾っていると枯れることがないので墓地がお花畑のように見えてきます。

 

(2018年5月撮影)

墓地内には太平洋戦争で犠牲となった朝鮮半島出身の軍人・軍属を弔う太平洋戦争犠牲者慰霊碑があります。

 

(2018年5月撮影)

大東亜共栄圏として日本の植民地だった時代、皇民として戦場に向かった朝鮮人・台湾人・中国人もいたという歴史を日本人はもっと知らなければならないと思います。こういう歴史は、いざ、碑に刻まれている名前などを見て初めて知ることになります。沖縄のひめゆりの塔などでも、沖縄戦で亡くなった人の碑には朝鮮人や台湾人の名前も見られます。

 

(2018年5月撮影)

太平洋戦争の韓国人犠牲者の慰霊碑の足元には在釜山日本国総領事:道上氏の献花がありました。花は枯れ切っていましたが、『生花』での献花です。韓国人墓地のように、花が枯れることがない「造花」の方が華やかに見えてきます。

 

(2018年5月撮影)

韓国人犠牲者の慰霊碑のそばには、日本人犠牲者の慰霊碑もあります。

 

(2018年5月撮影)

終戦とともに約5万人いた釜山在住の日本人は日本に引き揚げましたが、釜山市西区峨嵋洞の火葬場をはじめ市内各所には日本人の遺骨、位牌、過去帳などが放置されたままでした。1962年5月に峨嵋洞の火葬場が釜山鎮區堂甘洞に移転した際、当時の金玄玉釜山市長の人道的なお考えから市内に散在していた遺骨、過去帳などを一ヶ所に集め、「日本人冢移安之碑」と刻まれた石碑と納牌堂が建立されました。その後、都市再開発計画により日本人慰霊碑も再度移転されることになり、1991年10月、土地・移転費用等釜山市が全額負担する形で、現在の釜山市立公園墓地内に日本人慰霊碑と納牌堂が新たに建立されました。納牌堂には1.528の位牌が安置されています。

 

(2018年5月撮影)

「日本人冢移安之碑」と刻まれた石碑の足元には、日本人の氏名がズラリと刻み込まれています。

 

 

エレクトーレ

 

 

 

(2018年5月撮影)

釜山市立公園墓地内には、2001年1月26日、JR新大久保駅で線路に転落した日本人男性を助けようとして、写真家の関根史郎氏と共に電車にはねられ自ら犠牲となった韓国人留学生:李秀賢氏(享年26歳)のお墓があります。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

JR新大久保駅で勇敢に救助しようとして線路に降り立った韓国人留学生が電車に轢かれて死亡した事故として個人的に記憶に残っていた事故だったため、彼が釜山出身でこの墓地に眠っているということで敬意を払いに訪れました。赤門会の日本語学校に通っていたくらいなので将来のある人だったのだろうと思います。彼は静寂が包むこの場所で安らかに眠っています。案内版の語訳の序列も日本語が韓国語に続き序列第2位になっているのは極めて珍しい光景です。

 

(2018年5月撮影)

 

(2018年5月撮影)

李秀賢氏のお墓は、一般道路からすぐの場所に位置しています。周囲のお墓と比較して李秀賢氏のお墓は敷地が広めのものになっています。

 

(2018年5月撮影)

誰もいないひっそりとしたその場所で、静かに手を合わせて合掌しました。

 

(2018年5月撮影)

李秀賢氏の崇高な行為は、日韓両国民に深い感動を与え、日韓友好の絆として語り継がれています。

 

 

◆事故概要◆ 

以下ウィキペディアより

 

山手線新大久保駅で泥酔した男性がプラットホームから線路に転落した。その男性を救助しようとして線路に飛び降りた日本人カメラマン韓国人留学生が、折から進入してきた列車にはねられ、3人とも死亡した。人命救助のために自らの命を投げ出したこの件は、美談として日韓両国で大きく報道されるとともに、事故の犠牲者を追悼・顕彰するプレートが新大久保駅のホームと改札の間の階段に設置された。このプレートには日本語韓国語で事故の経緯等が記されている。

 

その後、救出を試みた2人の遺族には当時の森喜朗内閣総理大臣より書状が贈られ[1]警察庁からは警察協力章が授与された[2]。しかし、カメラマンと暮らしていた母親は国や市からの表彰について、近所の知人に対して「本当はそっとしておいてほしい、美談であっても息子が死んだことには変わりがない」と嘆き、事故から数年後に孤独死した[3]

 

事故の翌年、天皇(現上皇)は死亡した韓国人留学生の両親を招待して慰労した[4]。留学生の父親は後に奨学金財団を設立し、アジア出身の学生を援助した。2015年には日本政府から旭日双光章が贈られた。父親が2019年に死去した際、当時の河野太郎外務大臣は弔意を表し、親子の遺志を受け継ぐよう努力すると述べた[5][6]。また、同年10月22日には新大久保を訪問した韓国の李洛淵首相が、追悼プレートにて献花を行っている[7]

 

最初に転落した男性が駅構内の売店で購入したを飲んでいたことが判明し、JR東日本は通勤圏の一部駅構内での酒類の販売を一時取り止めた。

こんな酔っぱらいを助ける為に命を落とすことになったのは何ともやるせない気持ちになります。

 

 

2001年1月26日の事故現場がこちら

 

 

 

 

2019年10月には天皇陛下の「即位礼正殿の儀」に合わせて来日している韓国の李洛淵(イ・ナギョン)首相が東京の新大久保を訪れた際、事故現場に献花に訪れています。事故から20年近く経つにも関わらず、この事故は日韓の外交においてこれまで特別な結びつきを持ってきたことが分かります。

 

 

当時、両親の元には多額の見舞金や寄付が送られ、両親はこのお金を日本で秀賢君と同じように学んでいる日本語学校生のために役立てたいと、奨学金設立を提案し、1000万円を寄付したことがきっかけでLSHアジア奨学会が設立されました。事故から20年近くが経つ、今もなお、その活動は続いています。

 

 

以上、釜山市立公園墓地にある日本人墓地と、日韓友好の絆として語り継がれる李秀賢氏の眠るお墓についてでした。

 

 

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