#435一之宮貫前神社の記事にて、今回の礒部神社の主体・礒部氏は一之宮貫前神社の管理を担当した立場だったと想像し述べました。
詳細は#435一之宮貫前神社の記事をご覧いただきたいのですが、簡単に紹介しますと…以下青字
利根川下流域のビッグパワー・シーパワーである香取神宮の勢力が利根川を遡上しここ群馬にまで及びました。
その先端、末端たる礒部神社、礒部氏はここ礒部神社の地のみならず、一之宮貫前神社にも管理人・一之宮氏として入ったと想像しています。
磯部氏は香取勢力の中でも群馬辺境担当だったのでしょうか。
■礒部神社・・・群馬県安中市下磯部137
群馬の北西部
以下順次マップを拡大します。
安中の領域はこのようなものです。
碓氷川のすぐそば
マップを見て明白なように、この礒部神社は碓氷川、烏川、それらにつながる利根川の舟運利権を押さえている香取の配下、のようにも感じます。
このデザイン…
タケミナカタ(武田由来)
神功
ホンダワケ
比め神(白山姫)は大山祇の母
オオヒルメムチ
八坂刀女、タケミナカタの妃
稲荷
菅原道真
大山祇、初期の群馬の支配者
スサノオ
市杵島姫
布津主、香取大神、貫前神社の祭神、猿田彦
崇徳
埴安姫、大山祇の妃でおそらくは榛名山の祭神
一言主、葛城山ということなのですが正体不明
左のお社を見ますと
真ん中のお社の屋根に下り藤がありました。
次に奥のお社を見ますと
天満宮でした。
「新全国神社検索」によればここ礒部神社の祭神は健御名方命(!?)
礒部神社の南東1kmの咲前(さきさき)神社のサイトにここ礒部神社の詳細が記載されていました。
(礒部神社は咲前神社の下部神社なのか?)
「境内には末社愛宕、八坂、大国、八幡、疱瘡、産泰、菅原、絹笠、青麻、三峯、榛名、琴平、秋葉社他の三十数社の石宮が林立」
末社の祭神は古い世代の祭神に見え、それなりに順当です。
それら祭神の上に健御名方が入っています。
健御名方、諏訪神社はどこにでもあるので意味がよく分からないというのはさておき、ここ礒部神社の主祭神が健御名方というのがよく分かりませんでしたので、所管の咲前神社でお聞きしてみました。以下緑字
「武田信玄が攻めてきて占領した際に諏訪神・健御名方を持ち込んだ」
健御名方は戦国期に入れられたものだったのですね。ということで除外して考えます。
礒部神社の上位に見える咲前神社の祭神は経津主(=香取大神)です。
利根川下流部を支配する2大巨頭・鹿島大神と香取大神、その1つ・香取大神の力が上流のここ碓氷川まで及んでいるということです。
咲前神社サイトの由緒テキストには以下のようにあります。以下赤字
当鎮座地は神代、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が健御名方神(たけみなかたのかみ)を追って上野国と信濃国の国境の荒船山に御出陣の時の行在地であると伝わる。
経津主(=香取大神)の敵は健御名方(一般的な日本神話と同じことを書いてます)。
それがどうも荒船山で衝突した、かのような記述です。
荒船山はテーブル上のシルエットが特徴的な、群馬と長野の県境にある豪州・エアーズロックのような特徴的な山です。
こんなとこで本当に戦闘をやったのかな?
荒船山の西側・長野の佐久は健御名方の領域でしょう。
健御名方が荒船山を越えて群馬にまで侵入しようとしていたのでしょうか。
荒船山の下流側にある一之宮貫前神社の祭神・経津主は当然、健御名方を迎撃しようとするでしょうね。
つまり外敵・健御名方と一之宮貫前神社・経津主の争いは碓氷川流域ではなく鏑川流域で行われ、経津主が健御名方を撃退できた模様です。
なんだか健御名方って信玄みたいだな。
534年に吉兆があり、奉幣使・磯部朝臣小倉季氏、高椅貞長、峯越旧敬が上毛野国にて、抜鉾(ぬきほこ)大神「健経津主命」を祀り社を建てられた。
これが元々の咲前神社のことですね。
それ以後、磯部朝臣が祭司を司った。
磯部氏が咲前神社を主管した、と。
でこの一帯も支配したということでしょう。
650年、磯部の第11代小崎邦平は、抜鉾大神を神楽の郡(甘楽郡)蓬丘菖蒲谷に御遷座する。
650年にここ咲前神社から抜鉾大神(経津主)を現在の貫前神社に移した、と。
碓氷川舟運を支配してきた咲前神社、小崎氏が貫前神社(鏑川舟運も)も支配することになった、と。
磯部郷前宮(さきのみや)跡は、先の宮として崇め咲前神社が祀られた。この時改めて香取神宮より経津主大神を勧請し大己貴命(おおなむちのみこと)、保食命(うけもちのみこと)が祀られた。以後の祭祀を藤原姓和太氏が司る。
貫前神社に移って、後に改めて香取神宮より経津主を勧請したのが咲前神社だった、と。
なるほど、咲前(さきさき)神社って変な名前だなと思ってたのですが、「以前の貫前(さき)神社」という意味で「さきの貫前(さき)神社」→「前の前(さきのさき)神社」→「前前(さきさき)神社」
これじゃあさすがに変なので目出度い感じに「咲前(さきさき)神社」とした、のかな?
っと、以上は咲前神社の話。礒部神社に話を戻します。
礒部神社は534年にやってきた礒部氏が支配した神社なのでしょう。
で現在の主祭神・健御名方が戦国期にやってきたものとして、それ以前の祭神は境内社の中でいうと
愛宕、秋葉、三峯:金山彦
八坂:スサノオ
産泰:大山祇?
榛名:埴安姫
地下資源に関連する祭神ばかりですね。
火山・榛名山のふもとでは当然ですか。

















