群馬・藤岡地区の神社12社巡ったまとめを記しておきます。
藤岡市は群馬の鏑川と神流川に挟まれたようなエリアです。
上図にレポートした神社とブログナンバーを記しました。
藤岡は平地部と山地部に大別されます。
でもちょっと右上の部分が欠けていますね。そこをアップにしますと…
縦に流れているのが神流川、横に流れているのが烏川。
三角形に抜けているエリアは何でしょう?
藤岡市に属している方が自然なように感じますが、この三角形は烏川の北側に広がる高崎市に属する「新町」というエリアです。
なんでこんな飛び地になっているの?
これは土地利用から想像した古代の水辺エリアを青で塗りつぶしたものです。
新町が水辺によって完全に切り離されているのがわかります。
新町は元から藤岡ではなかったのですね。
中世に使われていた中山道が今も残っています。かつては商業ハイウェイとして重要な街道でした。
それが新町を通っていて藤岡を通っていません。
商圏としても藤岡と新町は別物だった、と思いました。
ですので新町が藤岡に属していないのはある種自然なこと、なんじゃないかな?
訪問した各神社の祭神を一覧にしたものが下表です。
あまりまとまりがないといいますか…
そも藤岡は結構氾濫原の面積が広いので落ち着いてしっかり入植するような場所ではなかったのかもしれません。
また大河川の合流地点でもあり、様々な勢力がここに食い込もうとしていた結果なのかもしれません。
その様々な勢力とは
#401土師神社・野見宿祢(ヤタガラス末裔)
#402風天神社・級津彦(阿蘇氏末裔)
#405立石神社・八衢彦&八衢姫(大宮氷川神社でいうところの出雲族)
#411鷲神社・武夷鳥&天穂日(鷲宮神社)
といったところでしょうか。
#406平地神社・仲哀がよく分かりませんが、ヤマトタケル(仲哀の父)信仰なのでしょうか?
それもなんか変な解釈となりそうです。
#407美国神社の「み」問題は8世紀に近畿から入った仏教関係だったと結論しました。(参#410藤岡歴史館)






