200か所以上の神社を参拝し群馬全域を調査したことになります、一応は。

各地域ごとにまとめ記事をアップしていますが、最後に群馬全域をざっと俯瞰しておこうと思います。

 

群馬は栃木と並び、古代において乾いた大地のあった場所です。(東京や埼玉は水辺が多く初期の入植には不適でした)

平坦な広い大地であるため、大陸からの入植者にはよい場所だったでしょう。

 

北へは利根川、西へは碓氷峠、東へは東山道、南へは利根川・荒川(後には東山道武蔵道も)

四方へと繋がるルートの交差点でもあり、古代における地政学上の超重要拠点であったことは明白です。

 

上図に重要拠点を記入しておきました。

九州王朝上宮法王信仰の拠点である長谷寺が2つあります。

これは九州王朝からの移民団が2つ群馬に入ってそれぞれに長谷寺を建設した、ように見えます。

 

長谷寺(群馬県桐生市梅田町5丁目333)

 

長谷寺(群馬県高崎市白岩町448)

 

■「群馬」の語源

群馬の語源は「くるま」

この「くるま」とは、中国大陸で戦争に用いられた馬戦車(チャリオット)の車輪が語源だと想像します。

故・米田良三氏によれば

「継体は高句麗から若狭へ上陸し、年月をかけて※1奈良を支配した」

とされています。

私はこれが源氏のルーツだと想像しました。

源氏の家紋「源氏車」

有力武家の源氏が自らの家紋をなぜ勇ましい剣、槍、弓にしなかったのでしょうか?

それは「源氏は自分のルーツは、大陸からチャリオットを持ち込み一気に奈良を支配した(高句麗)一族」だったと知っていたからではないでしょうか?

(京の貴族の牛車を護衛していたから、その車輪を家紋にしたというのは出来の悪いコジツケだと思います)

 

若狭に継体が上陸したのと同じく、新潟に上陸したチャリオット軍団が山を越え群馬に侵入し

自らのアイデンティティをチャリオットの車輪で表現した…それが「くるま」の語源だったと想像します。

 

#531二荒山神社(群馬県沼田市白沢町上古語父2085)にある謎のオブジェ

これは歯車ではなくチャリオットの車輪を表していると考えます。※2

群馬は中国大陸と比べ若干傾斜があり川筋や起伏も多いので、チャリオットはすぐに使われなくなり騎馬・白兵戦主体になったのではないでしょうか?

 

車持神社(群馬県高崎市十文字町289)

「くるま」→「くンまぁ」とズーズー弁の影響で発音が変化したと想像しています。

後に白村江敗戦(663)のあおりで九州王朝正統の一部が群馬・大胡に移動した※3、と考えています。

大胡は利根川の西・高崎の佐野勢力と結託し、利根川と東山道の交差点・山王廃寺を支配し群馬を掌握します。

その際に「くンまぁ」に漢字を当てています。

 

これは佐野を見下ろす#471金井沢碑(群馬県高崎市山名町2334)に刻まれた「くンまぁ」の漢字表記です。

上の文字は君+羊の合成文字です。

古くは「君」はきし、こんきしと発音し、半島王族を意味します。「王」です。

つまり君+羊は「羊王」という意味。

この場合の「羊」は動物ではなく、発音で考えると…

日本語の呉は中国語では吳、これを中国語でどう発音するのかというと「Wú」です。

「よぅ(羊)」と聞き取ることも可能だと思います。

つまり君+羊は「呉王」を意味すると分かります。

つまり「群馬」とは、日本正統姫氏・呉王が支配する国という意味でしょう。

 

そんな大仰な大胡も8世紀には奈良の軍門に下り、群馬南西の多胡へと移転させられやがて消えてしまいます。

「群馬」の名を残して…

多胡近くにある辛科神社(群馬県高崎市吉井町神保435)の狛犬?

明らかに大陸由来、夏、殷、周時代の青銅器を思わせる、大陸姫氏の芸術

これは九州王朝の勢力が持ち込んだ者と考えます。

 

■絹の国

群馬といえば明治期の#431富岡製紙工場(群馬県富岡市富岡1−1)が有名です。

幕末から絹輸出が爆発的に増え需要に応えて近代的生産施設が作られたのです。

しかし原料の蚕繭は群馬西部の山中の大小農家で生産され、これは古代から続くものでした。

その絹は驚くべきことにインド原産です。

 

#447.1荒船考より…

紀元前インド・アショカ王の子孫・許黄玉(ホ・ファンオク、32年 - 189年)がインドから韓国・金海にたどり着き首露王の王妃となったという伝承が韓国にあります。

 

日本には「赤城には絹が少なく、赤城大明神は好美女から絹を買っていた。その対価として一之宮の利権を好美女に譲った」という伝承があります。

現在一宮は貫前神社ですので、貫前神社の祭神・姫大神=好美女となります。

古代の共通語・中国語で考えますと

好美女の好=Hǎo

許 黄玉の黄=Huán

好美女=許 黄玉、かもしれません。

 

また神道記によれば

「好美女は佐久(長野県)に来て、山中を東に向かい荒船山にたどりついた。

諏訪神が好美女と懇ろとなり、それを知った諏訪神の妃が激怒、諏訪神は群馬・甘楽に逃げ、諏訪神の妃を防ぐため荒船山で好美女に守らせた」

とあります。※6

 

インドから韓半島へたどり着いた許 黄玉自身、あるいはそれに近い人物が長野・佐久から荒船山※4を越え下仁田に入り絹を伝え、貫前神社の姫大神となった…と想像しました。

つまり好美女=許 黄玉=丹生ツ姫、下仁田も丹生ツ姫、かもしれません。

一之宮貫前神社(群馬県富岡市一ノ宮1535)

好美女=許 黄玉=丹生ツ姫と思われる姫大神を祀る、絹の国の神社

 

■群馬の最初の支配者・赤城大神(大山祇)、フィクサー・ヤタガラス

赤城山山頂の赤城神社の祭神を見ますと

赤城大明神

大国主(大山祇の長男)、磐筒男(ヤタガラス、神大市姫の夫)、磐筒女(神大市姫、大山祇の長女)…

となっています。

これを見ますと自然に赤城大明神=大山祇と分かります。

実際群馬は大山祇だらけで、群馬を最初に席巻したのは大山祇※5だと分かります。

赤城神社(群馬県前橋市三夜沢町114)

赤城山麓中腹にある、世にも美しい神社

祭神は赤城大神・大山祇の長女・神大市姫と考えます。

 

埼玉では祭神としての大国主はあまり見ませんでしたが、群馬では大山祇一家長男として方々で見かけました。

長女・神大市姫も多く見られます。

ところがヤタガラスはいろんな変名を使いつつ神紋だけとか、祭神として現れることがほぼなかったのです。

ヤタガラスは普通の入植者のように本拠地を定めて利権を戦い生きてゆく…といったことではなく

一種のフィクサーとして、群馬に入り込んだ様々な勢力の調整をやっていた…のようにも見受けられます。

少なくとも自らのコロニーを得て拡大する、といった格好にはなっていません。

 

■群馬東部から東北へ

太田の東端には東山道の関所と思われる強戸があります。

強戸付近を流れる蛇川、その向こうの道路がかつての東山道に近いのではないかと思います。

 

ある時代においてここより東が奈良にとっての敵性エリアだったのでしょう。

それはおそらく蝦夷と呼ばれる勢力だったでしょう。

強戸の東側にやたら藤原長柄を祀った神社があります。これは奈良が強戸の東側へと支配エリアを広げ、蝦夷を排除するため有力中央官人・藤原長柄の直轄地としたためでしょう。

 

■群馬内の各地域ごとのまとめ記事も列記しておきます。

上記トピック以外にも興味深い発見が多数ありました。

#400群馬神川まとめ

#414群馬藤岡まとめ

#424群馬高崎南部まとめ

#429群馬甘楽まとめ

#444群馬富岡まとめ

#452群馬下仁田まとめ

#460群馬南牧まとめ

#470群馬安中まとめ

#478群馬高崎烏川以西まとめ

#483群馬玉村まとめ

#509群馬高崎烏川~利根川まとめ

#517群馬榛東渋川まとめ

#528群馬吾妻郡まとめ

#541群馬沼田渋川まとめ

#582、#582,1、#582,2群馬前橋まとめ

#595群馬伊勢崎まとめ

#604群馬桐生まとめ

#617群馬太田まとめ

#627群馬東部まとめ

 

 

以上が群馬神社調査の振り返りでした。

百嶋神社考古学の成果を利用し、群馬神社の祭神を見ることによって

群馬の古代の出来事を想像することができました。

今後は、東山道を延長し東北にまで攻め入った奈良、と蝦夷勢力のせめぎあいの痕跡を栃木に探ってゆくことになる…のかな?

ご期待ください!

 

 

※1この部分については日本書紀にくどくどしくオブラート的に書かれていると考えています。

 

※2現在ではこの歯車的なオブジェはごく一部にしかありません。

一時は「ぐんま」ネーミングをするほど強かった高句麗族(車氏)も時代の変転の中で中世武士団へと分流していったのでしょう。

 

※3広島・呉(くれ)→「大胡」姓が集中分布する東京湾岸や銚子→群馬・大胡という移動ラインが見えてきます。

これは白村江敗戦、博多占領から逃れて群馬に辿り着いたルートと見えました。

その「呉」とは日本正統姫氏の祖・呉の太白(呉越同舟、臥薪嘗胆の故事)から来ています。

#415山上碑、#416多胡碑を参照ください。

 

※4荒船山とは「安羅(あら)伽耶(韓半島南端にあった伽耶諸国の一つ)から船でやって来た」という意味だと想像しました。

荒船山はシルエットが船に見えるから…などと言われますが私にはそうは見えませんでしたね。

少なくとも古代の船には見えませんね、全く。

 

※5大山祇は石の神で、そのルーツは中央アジア・タシクルガン(石頭城)にまでたどることができます。

日本における大山祇の本拠地は九州・宮崎で、群馬の大山祇(赤城大神)と静岡・三嶋大社の大山祇は別派だと思います。

 

※6これも痴話喧嘩っぽく書いてありますが、

本当は深刻な利権争いをソフィスティケートしてある噺じゃないのかな?

地勢的に見れば、日本列島に南北に切れ目を入れた大渓谷の中心が諏訪ですので、

現在では辺鄙な場所でしかありませんが、諏訪は古代において日本列島を縦断できる唯一のルートの中心でした。

そこを早くから支配していたのがミシャグチ(○○○人)で、後にタケミナカタ・八坂刀女が入ります。

この2人は八坂刀女の縁故で諏訪に入ることができた、ように感じます。

ですので、タケミナカタが諏訪においてマスオ的な立ち位置であったのなら、

「一発関東(群馬)に出てオレ様の国を作ろう!」と考えても不思議ではないでしょうね。

そのための原資として絹生産技術を群馬に持ち逃げした…

そんな想像をしてしまいますね。