■碓村神社・・・群馬県碓氷郡松井田町高梨子1490

 

関東平野の西北のはずれ

以下順次マップを拡大します。

 

 

安中のエリア

その九十九川沿い

 

地形から見るに土石流の危険がある場所のようです。

 

 

九十九川の河岸段丘上に碓村神社はあります。

 

周辺状況

 

 

 

 

 

 

 

 

特に手掛かりはありませんでした。

 

 

「新全国神社検索」によればここ碓村神社の祭神は《主》八重事代主命

埼玉から群馬西部の神社を訪ね歩いているのですが事代主はほぼ見たことがありません。

 

百嶋神社考古学では、弥生期よりもずっと早い時代に日本列島に定着した(青森・八戸など)古々代ヘブライ人の末裔が事代主だとしています。

そんな出自の事代主は崇神の外戚となって有力になっていったようです。

 

松井田城址保存会サイトによりますと

「北条時頼が弘長二壬辰年(1262年)に青竜山松ヶ枝城(松井田城?ここ碓村神社の南1km)を建てた際、水の手が欲しいので信濃の国諏訪大明神より大荒目尊を勧請し、碓村神社を創建したといわれています。(青竜城記)」

 

この大荒目という祭神は不明です。

松井田城はここ碓村神社から南1km、山を一つ越えたところにあり、

その周辺に諏訪と関連ある神社としては

諏訪神社:群馬県碓氷郡松井田町新堀1055

社宮司大権現:群馬県碓氷郡松井田町新堀253-7

 

諏訪から勧請したという大荒目尊、何とも分かりません。

 

今現在、私は群馬のお隣の栃木調査をすでに終えています。

研究(?)もずいぶん進んで、関東の古代史像を明らかにすることができつつある実感を感じています。

 

今この段階で皆さんに申し上げてもご理解いただくことは難しいとは思いますが、

大荒目=八重事代主であっても不思議ではない、と考えます。

 

概要だけ書きます。

大荒目の「(あら)」とは朝鮮半島南端にあった「安羅(あら)」のことでしょう。

で、事代主は紀元前から代々に渡って安羅を本拠地にして、日本海沿岸で活動していた勢力だった。

 

それが日本海側から信州→群馬・安中へと持ってこられ、碓村神社となった。

そんな風に感じます。