■貴舩(きぶね)神社・・・埼玉県大里郡寄居町用土2857
前回の藤田神社から藤治川を少し遡った地点にあります。藤田神社とは微高地つながりなので関連しているのかもしれません。
創建は、用土村誌によれば天平元年(729)、村社貴舩神社誌によれば貞観年間(859~877)。
延暦年間(782~806)坂上田村麻呂が土偶を作るのにここの土を用いたため淀を用土とした、という地名説話。
天文5年(1536)猪俣党藤田氏(?)の用土新三郎小野業国(なりくに)が鰐口を寄進
安政2年に藤田神社貴布禰大明神とされた。
宗源は貴布禰大明神
末社は熊野、稲荷、北向神社
摂社は八坂、五社、菅原、浅間、雷電
祭神は高龗、闇龗
高龗、闇龗は藤原の祖先神です。
ここも藤田、藤原系荘園だったんじゃないかな?
用土新三郎小野業国については検索しましたが特に…
ただ小野氏であるという点から、以前レポートした小野神社での小野氏の解析から7世紀になって近畿奈良政権の武蔵野台地への進出(侵略)の一員だったと考えております。
その関係で7世紀以降のどこかのタイミングで埼玉北西部のこの地に小野氏が入り込んだ末に用土新三郎小野業国が誕生した…のかな?と想像するのみです。
風土記稿には「末社は天王、八幡、天神、八大竜王、金毘羅」
八大竜王は竜王とくれば豊玉彦。
これらは高龗、闇龗が入る前の祭神なのでは?
埼玉北西部で豊玉彦(ヤタガラス)を見かける頻度が上がってきました。
この荒縄は?
拝殿
神額はありません
拝殿屋根には菊紋と崇神の神紋
モロ近畿大和政権です。
拝殿屋根には「鬼」瓦、崇神の印
拝殿の背後を見ます。
おそらく左の木造建屋が本殿の覆屋だと。
その背後に小さい建屋が見えます。
これは「埼玉の神社」によれば祭器庫
神額はありません
菊紋でしょうか?
こちらは境内の祠群
これはもうお馴染み、五柱
これら石柱群は「埼玉の神社」によれば青面金剛、明仙元、<天照、倉稲魂、埴安姫、少彦名、オオナムチ>、天神、仙元
九州・佐賀とのつながり。
これは別の石柱群
これは社務所の屋根ですが…
「御」とは?
「埼玉の神社」より…以下赤字
弥生中期、古墳後期の遺跡、製鉄の痕跡(鍛冶屑)が見つかっている。
創建は729年、859~877年との記述がある。
その後衰退し、中世後半に開発が進んで再興されたと考えられる。
祭神は高龗(たかおかみ)、闇龗(くらおかみ)
雨乞いのため群馬・榛名神社に詣でたことがある。
江戸期の風土記稿によれば、末社は天王、八幡、天神、八大竜王、金毘羅
本殿に向かって左手奥に青面金剛、明仙元、<天照、倉稲魂、埴安姫、少彦名、オオナムチ>、天神、仙元
百嶋神社考古学では高龗=神沼河耳、闇龗=神俣姫です。
高龗(=神沼河耳)は多氏。
闇龗(=神俣姫)はイザナミとイザナギの娘、スサノオの姉。
高龗と闇龗の息子が草部吉見、草部吉見は藤原のアイコン・崇神の祖父です。
つまり高龗と闇龗を祀っている時点で藤原系・阿蘇系と言えるでしょう。
境内社を見ると高龗と闇龗よりも古い祭神が…
風土記稿に記載されている天王(スサノオ)、八大竜王(豊玉彦)が古い祭神ですね。
鍛冶を行っていたらしいとのことですので金山彦がいても不思議ではないのですが、青面金剛=金山彦なのでしょうか?





















