前回の利仁神社より北上します。

 

■久米田神社・・・埼玉県比企郡吉見町久米田132

 

 

 

東に広大な荒川氾濫原がありますので、山の麓で安全な位置といえます。

 

村の中のこじんまりとした神社でした。

 

拝殿

 

左が拝殿、右が本殿覆屋

 

本殿屋根には

 

梅紋(菅原道真)

 

瓦には崇神

この周辺はもう軒並み藤原ですね。

 

そばには稲荷と

 

…不明です。

 

猫の足あとサイトによりますと…以下赤字

祭神は建葉槌命(天羽槌雄命)、菅原道眞

境内社は稲荷社、亀殿社

近隣は弥生時代後期~古墳時代前期の久米田・山の上の両遺跡や古墳群があり、古くから開けた土地である。
当社の創建は、口碑によれば和銅年間(708~715)である。

古くは倭文神社で、『日本文徳天皇実録』の天安二年(八五七)九月条に武蔵国の「倭文一神」として従五位下に昇叙したことが載る。

寛文十二年(一六七二)十一月二十五日に、菅原道真公を配祀した。当時の神像と木札を現在も奉安している。社号も倭文天神社に改めていた。
当地は古代から、白木綿の産地で、正倉院に残る白木綿に「横見郡御坂郷」と記され、しかもこれは飛鳥時代の遺物である。この機織の守護のため祀られたのが当社である。ゆかり深い白木綿は後世にも織られていたようで、明治三年、「養老の典」に浴した地内の内山塩(当時九一歳)による手織りの一反が、明治天皇が大宮氷川神社に行幸の折に献上された。
明治四年に村社となり、同年七月に現社号に改称した。

 

この神社は当初から倭文(しとり)神社として建葉槌命(天羽槌雄命)を祀っていたようです。

倭文神社は九州にはなく、日本海沿岸に分布するようです。建葉槌命(天羽槌雄命)と倭文神社はセットになっているようなのですが、久留米地名研究会・古川清久氏にお聞きしたのですが詳細は不明とのことでした。

残念!!

 

古代からこの周辺は木綿の産地だったようです

稲、桑(絹生産)以外にも木綿という商品作物を栽培していたのですね。