■葛袋(くずぶくろ)神社・・・埼玉県東松山市葛袋853

 

 

 

都幾川を見下ろす高台にこの葛袋神社はありました。

 

写真では住宅地ぽいのですが、工場ぽい施設のある高台です。

 

右の方に行くと崖です。

 

 

拝殿

妙に大きく見えたのですよ。

 

神額

 

拝殿内部

神紋は大幡主

 

千木は内削(女神)、鰹木がよくわからなかったのです。

 

これは斜め後方から。

アレ? 本殿がないよ。

建物を上から見ると十字になっているのね。

 

こうやってみると鰹木が7本あるようにも見えます。

そうすると千木に反して男神ということになりますが、決して不思議なことではありません。

鰹木と千木が食い違っている例はこれまでにもありました。

 

これは境内にあった…

 

金刀比羅、大国、一番左は不明です。

 

では猫の足あとサイトを見てみます。以下赤字

祭神は素戔嗚尊

境内社は大黒天、金毘羅、金刀比羅社(大黒天だったのか~、みんな一緒やん)

 

もともと、五社権現宮、白髭神社・愛宕神社・八坂神社をそれぞれ祀っていた。白髭神社が村の鎮守であった。
明治期に白髭神社を五社権現社に合祀し「五社大神・白髭大神社」と号して村社となった。

更に愛宕神社と八坂神社をこれに合祀し村名を採って葛袋神社と改めた。

大正期、坂東山の麓の現在地に社地を移した。坂東山はセメント材採掘のため現在では跡形もなくなっている。
五社権現社はその社名から察するに、熊野十二所権現社の内の熊野五所王子と呼ばれる若一王子(天照大神)・禅師(忍穂耳尊)・聖(瓊々杵尊)・児宮(彦火々出見尊)・子守(鸕鶿草葺不合尊)の五柱を祀る社と考えられ、恐らく熊野修験により奉斎されたものであろう。

 

白髭が村の鎮守だったということは、この村は高句麗・百済系移民ということかな。

五社権現がベースで、明治期に白髭・愛宕・八坂が加わったのですね。

 

白髭は猿田彦、愛宕神社は金山彦、八坂はスサノオ、となるのですがスサノオ以外が見当たりません。隠されているのかな?

ベースとなっている五社権現が熊野五所王子だというのも真偽が全く不明です。確認できるものが一つもありません。

 

 千木、鰹木が氷川っぽいので、祭神がスサノオで合ってる気はするけど決め手がないです。

 

五社権現が熊野五所王子であったとして、まずなんでここにあるのかな??

上記にあった天照大神、忍穂耳尊、瓊々杵尊、彦火々出見尊、鸕鶿草葺不合尊、どれも確認しようがありません。

 

社殿のつくりも変わっています。なんか意味があると思うんだけどなぁ…それすら後世のものかもしれないので何とも言えないですが。

千木と鰹木のずれについても、これまで見た同様のケースは男女の神を祀っているからでした。

ここもそうだとすれば、千木と鰹木の存在からスサノオとクシナダヒメなのかなぁ??

 

五社権現社が大きなヒントだと思うのですが、祭神が伝わっていない以上熊野五所王子との類似をいくら考えても無駄になるかもしれません。

 

伝承が失われるとこうなってしまうのですねぇ…