今回は越辺川の支流・都畿川(ときがわ)の沿岸にあります高坂神社です。
■高坂神社・・・埼玉県東松山市高坂1061
低湿地のすぐそば、わずかに高くなった土地です。常に洪水の危険があったでしょうね。
拝殿
拝殿の側面
屋根瓦には逆回転の大幡主の神紋
本殿の覆屋
コンクリートブロックではありますが、なんとなく氷川のテイストがあります。
千木・鰹木、神紋は見当たりません。
では猫の足あとサイトの情報を見てみましょうか。以下赤字
祭神は日本武尊
摂社は豊稔社、豊受姫命、大年神、御年神
ヤマトタケルは、悪く言えば名前貸し。
豊稔は不明です。
豊受姫は伊勢下宮様です。豊受姫の表記は珍しいですね。
大年神は草部吉見(=天忍穂耳、海幸彦)
御年神は草部吉見と豊受姫の息子
3柱の祭神、豊受姫命、大年神、御年神はご家族です。
この取り合わせを見たのは初めてです。
藤原が創作した皇統が、御年神から続きます。つまり
御年神=考安天皇
大足彦(御年神の息子)=景行天皇
稚足彦(大足彦の息子)=成務天皇
百嶋神社考古学では、考安天皇、景行天皇、成務天皇は実際には天皇ではなく、藤原につながる家系の人物であるために後の時代に天皇とされた、とされています。
さて創作された皇統の御一家が豊受姫命、大年神、御年神ということになります。
ここ高坂神社は御年神=考安天皇の関係者が入植したコロニーの象徴だった、といえます。
(よくこんな伝承が残ってたな…)
藤原史観におけるメインストリームキャラが祀られている以上、ここ高坂神社の建っている場所は洪水の危険がある場所とはいえ地政学的に重要なポイントであった事を示していると考えます。
大雑把に言えば、荒川を上下する舟運をコントロールでき、同時に西側の穀倉地帯・鉱業地帯からの積出港でもあるという、意味でです。
藤原の直轄地にふさわしい地勢上の重要ポイントなのが分かります。