さて前回の吹塚八幡神社が、小さい神社なのに異様に盛り上がってしまいました。
今回は東武東上線酒殿駅近く、町中にある坂戸神社です。
■坂戸神社・・・埼玉県坂戸市日の出町7−26
越辺川から西へ外れて、洪水の危険の少ない微高地の市街地部分です。
町中の交通量が多い道路に面しています。
祭神が多く書かれていますので、祭神として入った順番など想像しながら見てみます。
白髪(清寧)これは入間川北側でよく見かけます。高麗、百済など入植に関する祭神で新しいものです。
次に書かれているのが熊野大神櫛御気野=スサノオ。
猿田彦、大山咋、タケミナカタ、菅原道真、スサノオ、菊理姫、倉稲玉、ホムダワケ
拝殿
神額
神紋は菊
拝殿屋根の側面
本殿覆屋
神紋はありません。
見づらいですが三つ巴
では猫の足あとサイトの情報を見てみますと
祭神は白髪武広国押稚日和根子天皇、熊野大神櫛御気野命
相殿は猿田彦命、大山咋命、建御名方命、菅原道真公、須佐之男命、菊理姫命、倉稲魂命、誉田別命
明治期に元坂戸に鎮座していた白髭神社を遷座し、熊野神社、諏訪神社、天神社、諏訪神社、稲荷神社、白山神社、諏訪神社、天神社、八坂神社を合祀して坂戸神社と称した、と。
掲示板にあった祭神から合祀された神社を除くと、白髪(清寧)、猿田彦、大山咋、ホムダワケとなります。
白髪(清寧)は高句麗、百済入植の祭神。
猿田彦は白髪(清寧)とセット。
ホムダワケは九州の宗廟を高良大社から奪った後の時代。
残りは大山咋(藤原祖先)、だから菊の御紋があったのですね。
大山咋は崇神の父、藤原の時代においては尊崇するべき祭神として祀られたのでしょう。
それがここ、入間川の北部、弥生時代からの人口密集地域のど真ん中に据え置かれていることから、近畿大和朝廷の支配が荒川中流部にしっかり食い込んでいたことが分かります。
そしてこの地域は700年代から百済・高句麗の入植が進められたことが記録されています。
大きい目で想像するなら、近畿大和朝廷の承認・支持の下で入植が進められたのだろうと思えます。
つまり近畿の権力の承認のもと、実際の入植・開拓は百済・高句麗民により行われ植民地支配管理人として荒川中流域を監理したと思えます。
祭神の内容、神紋からそのように類推できそうです。