さて前回の大宮住吉神社が意外な大物だったわけですが、その大宮住吉神社の宮司一族が勝呂氏な訳です。

 

■勝呂(すぐろ)神社・・・埼玉県坂戸市石井226

 

 

 

すぐ南にある大宮住吉神社と川を挟んでの立地です。

 

 

 

勝呂神社は円墳の上に立っています。白山姫神社が祀られている。

ここ石井の地は縄文期から人が住み、古墳期から中世にかけて入間郡の中心だった。

崇神期の四道将軍・建淳河別が葬られているとされています。

武蔵七党の村山党・須黒氏が本拠地とした。東を東山道武蔵道が通っていた。

 

 

真っ平らな土地にポツンと高くなった古墳上

 

梅紋、菅原道真

 

 

 

 

拝殿の中には「勝蟲」とありますが、不明です。

 

拝殿側面

 

本殿覆屋

 

こちらは拝殿に向かって右手

 

??、春日、神明、八幡、??、浅間、六所、鹿島、天満天神

 

こちらは拝殿に向かって左側

 

 

熊野、稲荷、氷川

 

こちらも拝殿に向かって左手、三峯

 

由緒書によれば…以下赤字

祭神は菊理姫(白山姫)、イザナギ、イザナミ

江戸期からの末社は稲荷、八幡、春日、天満、牛頭天王

明治期に合祀された末社は並木、三社明神、愛宕、鹿島、六所、熊野、厳島、天神、稲荷、神明

神紋は加賀梅鉢

四道将軍・建淳河別をここに葬った(6世紀)。

986年、白山神社を勧請した。

1078年、八幡太郎・源義家が奥州征伐の後に奉納。

1213年、須黒氏が社殿再建

江戸期、徳川家の庇護を受ける。

明治期、白山神社とし、近隣15社を合わせ勝呂神社となる。

大変詳しい内容で助かります。

 

986年に白山神社が加わった結果現在の祭神になったということですが、では初期の祭神がイザナミ・イザナギというのができすぎな気がします。

初期の祭神は、菊理姫・イザナギ・イザナミと整った時点で主役の座から降ろされたのではないでしょうか。

では最初期の祭神は江戸期からの末社稲荷・八幡・春日・天満・牛頭天王の中にいるのではないでしょうか?

普通に考えたら天満(菅原道真)・牛頭天王(スサノオ)となります。

境内にこれほど梅紋がありますので菅原道真が順当ですが、菅原道真は9世紀の人物です。ここ勝呂神社の周辺は縄文期以降文明の痕跡が連続していますので、菅原道真は時代が新しすぎです。

 

と考えればやはり初期の祭神はスサノオなのかなと想像します。それが摂社・氷川として残されているのかな、と感じました。

また関東開発の先兵・兄多毛比(=武夷鳥、天菩日の息子)が菅原道真の祖先にあたることを考えても、ここ勝呂神社は原初において武夷鳥が信奉した氷川なんじゃないのかな、と感じました。