前回の梅園神社よりさらに山中へと入っていきます。
■萩日吉神社・・・埼玉県比企郡ときがわ町西平1198
狭い谷間の村を見下ろす神社でした。
祭神は大山クイ
欽明期に蘇我稲目により創建された、と。
参道入り口のあったお社
欽明期に蘇我稲目により創建された後、平安初期に日吉(大山クイ)が入った、と。
読めませんねぇ。
拝殿
正面に三つ巴、大幡主の神紋、千木は外削(男神)
鰹木は5本(男神)かな?
本殿覆屋、中は見えません…
境内社
左から御井社、下に井戸がありました。
その右隣は…不明です。
その右隣も不明です。
こちらも不明です。
こちらも…
よくわかりません。
こちらは
八坂神社(スサノオ)でした。
こちらも不明です。
こちらは平忠魂社とあります。
ではここで猫の足あとサイトを見てみます。
祭神は大山咋命、国常立尊、天忍穂耳尊、国狭槌尊、伊弉冉命、瓊瓊杵尊、惶根尊
境内社は萩明神社、御井社、釣取社、負櫃社・風神社・菰神社・金精大明神合殿、天神社、八坂社
神社の歴史については由緒書と同じ内容でした。
大山咋(おおやまくい)は後世において大山祇と入れ違うことが出てきますが、この場合は正しく大山咋でいいと思います。大山咋は藤原のアイコン・崇神の実父ですので。
国常立=天御中主で大幡主の叔母に当たります。この神社の系譜とは無関係なので権威付けで入れてあるのかもしれません。
天忍穂耳は阿蘇系の祖・藤原のアイコンで、大山咋の実父ですので順当です。
国狭槌=大国主で武蔵大國魂神社の主祭神とされていますので、これも藤原サイドといえます。
伊弉冉(イザナミ)は金山彦の妹。
瓊瓊杵は高木大神の息子、なぜここに入れられているのかわかりません。
惶根=金山彦で、金山彦は群馬から下ってきたと思われる鉱業・鍛冶に関連した祭神なのでここにあっても不思議はないと思いました。
数が多いですね。
藤原系が多いので、初期においては蘇我稲目※1が関わっていたとしても乙巳の変(645)で蘇我氏が殲滅された以降は藤原系の祭神が入ってきた、と想像する程度ですね。
境内社については天神(菅原道真)、八坂(スサノオ)以外は祭神が不明です。これではなんとも…
※1私が聴講している佃収(つくだ おさむ)説による蘇我氏の説明を簡単に記しておきます。
蘇我氏の祖先は蘇賀石河宿禰(中国東北部からの渡来人)で、肥前が本拠地。
蘇我稲目は吉備を征服し、瀬戸内海を経由し大和を征服している。
それ以上の事蹟はないのでここからは想像です。蘇我稲目の命を受けた者が関東に入り込み、ここ萩日吉神社に蘇我稲目を伝えたのではないでしょうか。ですがその後藤原の全盛期が訪れて、藤原系の祭神が上塗りされ「日吉」とされた…などと想像しました。
それでも、よく蘇我稲目の伝承を残してこれたなぁ、と感じます。