前回の出雲伊波比神社から北へ越辺川に沿って遡ります。
■越生(おごせ)神社・・・埼玉県入間郡越生町越生1015
平地部から少々山を登ったところにあります。
拝殿
千木は内削(女神)、鰹木は奇数(男神)という取り合わせは以前時々見かけました。
スサノオとクシナダヒメを祀っている場合によく見られました。
ここも屋根が赤いんだよね~
本殿覆屋、これ以上は何もわかりません。
拝殿に向かって右側
日吉神社、大山クイ
そしてこちらは
稲荷
では猫の足あとサイトを見てみましょう。以下赤字
祭神は大物主命
相殿は誉田別命・大山咋命・素盞嗚命・倉稲魂命
武蔵七党の児玉党の一族越生氏※1が高取山に居館を構えた際に鎮守として文治年間(1185-1190)に琴平社として創建。
明治42年に八幡神社、その境内社日吉神社、八坂神社、稲荷社及び八坂社を合祀、社号を越生神社と改めて高取山麓の当地に遷座した。
ということは明治期に加えられた祭神を取り除くと、現在の祭神・大物主命(=大国主)がもともとの主祭神だったということになります。越生氏が持ってきたのですね。
では拝殿の千木と鰹木(千木は内削(女神)、鰹木は奇数(男神))となっていたのですが、これについてはどうでしょうねぇ?越生氏が大物主命を持ってきたとして、それ以前は神社・集落はなかったということはありえなく思います。中世以前の古代からこの地域には入植があったはずです。
これは想像になりますが、拝殿の千木と鰹木はスサノオとクシナダ姫を表しているんじゃないのかな?
そもそもスサノオとクシナダ姫の氷川神社が当地に入っていたが、異民族の越生氏がスサノオとクシナダ姫を近隣へと追放した…明治になってそのスサノオとクシナダ姫を戻した、んじゃないのかなと想像しました。
※1Wikipediaによれば児玉党は藤原北家家臣が埼玉の北のはずれ、神流川中流に移住した。おそらくその分派がここ越生へ移住し越生氏と称した、ということじゃないのかな?