飯能地区の神社を見ているわけですが今回は…

 

■征矢神社・・・埼玉県飯能市征矢町26−1

 

 

 

入間川南岸です。

 

神社から見た近隣はこんな感じでした。平野部は広くはないですが稲作畑作はできそうです。

 

 

 

拝殿

 

神額・神紋はありません。屋根に神紋があるように見えますが金輪です。

しかし前回の白髪白山神社もそうでしたが、なんで屋根が赤いの??

 

拝殿の後ろにつながってない本殿がありました。

 

こちらも屋根が赤いです。

 

 

本殿内部、特に何もわかりません。

 

傍らに大幡主の神紋・三つ巴の瓦、しかも回転が逆です。

 

どこかに神紋がないかと探しましたがありません…

 

では猫の足あとサイトから祭神を見てみましょう。

高皇産霊尊、日本武尊、誉田別尊、大日孁貴尊、応神天皇、素戔嗚尊、稲田姫尊、猿田彦尊、倉稲魂命、大宮ノ売命、大物主神

ですが当初は高皇産霊尊・日本武尊・誉田別尊が祭神で、残りは明治期に合祀されたとのことです。

(大宮ノ売だけは以前も不明でした…)

 

高皇産霊尊=高木大神

日本武尊

誉田別尊=応神天皇

(百嶋神社考古学では以上のようになります)

高木大神はあまり見かけません。(狭山丘陵の南麓に高木神社がありましたが祭神は女神でした)

ヤマトタケル、誉田別はいろんな場所で見かけます。

と考えれば、ここ征矢神社の本来の祭神は高木大神だったんじゃないのかな、と想像してしまいます。

(高木大神が後から入ったとは考えにくいです)

猫の足あとサイトによれば、将門追討のために下向した六孫王基経(~961)が日本武尊と誉田別尊とを合わせ祀った、とありますので、やはりそれ以前は高木大神が祭神だったと思いました。

 

この征矢神社のある字名が「砂の宮」

砂(さ)という言葉は製鉄(砂鉄か?)を表していると、久留米地名研究会・古川清久氏より伺ったことがあります。入間川流域の加治丘陵では入間川の砂鉄を素材に鍛冶業を営んでいたのでしょうか…

江戸期には祖矢社と呼んでいたそうで、当ててある漢字はさておき発音で考えると「さ」「そ」と同じものであるように感じます。

つまり征矢神社、祖矢社、砂の宮は同じことを別表記にしてあるだけで、製鉄という意味なのかなと想像しました。

実際、本殿には当社創建にかかわるとされる二筋の矢が納められているということで、鉄製の矢じりを製造していたのがこの地域だったのかな。

 

ここ入間川のほとりに建つ征矢神社は鉄矢の生産基地のトーテムだった、と想像しました。