入間川を完全に遡上する前に、その支流・霞川をさかのぼろうということです。
その理由は、霞川北岸にある加治丘陵に奈良時代に入植したと思われる人々の足跡が残されていないか、それを神社祭神の中に探ろうという思惑です。
まずはその第一弾。
■八幡神社・・・埼玉県入間市上谷ケ貫679
八幡神社は加治丘陵の裾に位置しています。
東西に流れているのは霞川で、舟運に用いるには十分な川幅があります。
拝殿の千木は外削(男神)、鰹木は5本(男神)
本殿覆屋の千木は外削(男神)、鰹木は4本(女神)
由緒書にはくわしい履歴が書かれていました。
1300年代武田一族の増岡氏が宇佐八幡宮(品陀和気)を勧請した。
武田氏が武蔵七党の金子氏と婚姻した、と。金子氏はここから南方の狭山丘陵北麓に本拠があります。
祭神は品陀和気(応神)、倉稲魂
末社は伊勢、津島、迦具土、浅間、諏訪、菅原、三峯、護国
本殿覆屋屋根の千木、鰹木は品陀和気、倉稲魂を表しているのかもしれません。拝殿屋根の千木、鰹木は品陀和気でしょう。
品陀和気が入ってくる以前の原初の神として考えられるのは、迦具土、諏訪、三峯でしょうか。
迦具土=金山彦で鉱業を表しますので、鍛冶業の入植者の祭神と取れます。
これまで武蔵野台地北部(狭山丘陵の北側)を巡って、群馬から下ってきたと思われる金山彦・埴安姫を見かけました。ここ加治丘陵に鍛冶業として入植した部族は群馬から入ってきた可能性があると感じました。
こちらが古宮。
特に何も祭神を示すものはありません。
これが伊勢、津島、迦具土、浅間、諏訪、菅原、三峯、護国のいずれかということでしょう。10柱あるように見えますが…