前回の野々宮神社から見て不老川の対岸(南岸)にある入間野神社を見ていきます。

 

■入間野神社・・・埼玉県狭山市南入曽640−2

 

 

 

ここ入間野神社も交通の要衝だったと思われ、南北に走る街道と不老川の交差点に立地しています。

交通の要衝だったことは容易に想像できます。

 

 

主祭神は大山祇命、木花咲耶姫命。そのほかの祭神は天照大神、他六神(不明です)

創建は1191、旧号は国井神社(のちに御嶽大権現)、明治期に浅間神社が合祀された。

国井とは国が作った井戸、ということかな??

 

 

入間野神社の前の道路はかつての鎌倉街道(上道)だそうです。

 

 

境内

 

拝殿

千木は外削、鰹木は5本、いずれも男神を表します。

 

 

拝殿内部

 

拝殿の軒

 

本殿屋根の千木は内削(女神)、鰹木はおそらく6本(女神)。

拝殿は男神、本殿は女神。それぞれ大山祇命、木花咲耶姫命と考えれば符合しますが…

 

拝殿に向かって右にあるお社

 

菅原道真、天満宮でした。

 

こちらの石の祠は詳細不明です。これがカギだと思うんだけどなぁ…さっぱり分からないんですよ。

 

拝殿に向かって左側のこの社は

 

近代の戦争で亡くなられた方々のための鎮魂。

グローバリストとの対決を選び、しかしその実はグローバリストの手先どもに踊らされ命を落とした真の日本人たち。

 

 

さて、祭神が大山祇命、木花咲耶姫命ということ以外何もわかりません。

大山祇命は近畿奈良政権の象徴、木花咲耶姫命はおそらく江戸期のものなのかな?

かつて国井神社と呼ばれたそうで、国井とは国が経営する井戸だと思いました。ここに井戸を作るのは農業用水ではなく武蔵国府と群馬(中山道)を結ぶ古代街道を行き来するためだと考えます。おそらくその時代の祭神が大山祇だったのでしょう。

なぜなら、大山祇は大国主の父で、近畿政権のアイコンたる神様だからです。

大山祇は府中と群馬を結ぶ古代街道中継駅をしっかり支配するための象徴だったと想像しました。

その古代街道と不老川がクロスする重要拠点を抑えた神社が野々宮神社と入間野神社だった、というわけです。

 

入間野神社と野々宮神社、よく似ています。

古代街道と不老川の交通を管理・課税していた勢力による神社だったと、想像します。