前回の東村山八坂神社から西へ空堀川を遡り、高木神社にたどり着きます。

 

■高木神社・・・東京都東大和市高木2丁目104

 

 

空堀川は柳瀬川に合流するよりも上流側では、狭山丘陵の南裾野に沿って流れています。

 

その空堀川の名もなき支流に入ったすぐ上流に高木神社はあります。その分岐点を下流側から撮影したものが下図です。

 

割と広くて周囲の宅地からも十分な水深もとれそうですので、水量が多い古代でしたら河川舟運に活用できたでしょうね。

この写真においても、手前に川に降りるような船着き場的なところもいまだにありますし。

右手の細い川へ入ってゆくと…

 

細いと言っても舟運には十分です。

さてこの先に高木神社はあります。

 

鳥居は南(つまり川の方)に向いています。

この神社の祭神が南側を流れる川から上陸したことを暗示しています。

 

厳島式鳥居

 

拝殿の左右に小さい社があります。

 

拝殿

 

 

本殿、千木は内削(女神)、鰹木は8本。

下にある通り神紋の大幡主は男神ですので、本殿に祀られているのは大幡主ではありません。

 

本殿は覆屋の内部らしく視認できません。

 

拝殿の神紋は大幡主

 

拝殿に向かって右手、塩釜神社の分社

 

塩釜神社

塩は妊婦が健康な赤ちゃんを産むために絶対必要な海のミネラルを表しています。塩は海岸沿いの塩田で作るほか、内陸でも断層に沿って地中のミネラル成分が温泉・冷泉として出ている場合があります。

そういった理由で塩釜=安産とされている一方で、塩田開発をやっていた猿田彦・大幡主コンビが祀られることが多いです。

 

中を拝見したい…

 

おもしろいことに塩釜神社には本殿が設けられています。ひょっとしたら他所から移されてきたのかもしれません。

 

本殿向かって左に小さい祠が2つ並んでいます。なんとも不明です。

 

さらに左には山神。

 

さらに左には…不明です。(由緒書を置いといてくれ~~)

 

由緒書が無いので東大和どっとネットサイトから引用します。以下赤字

 

祭神は、社殿改築記念碑によれば高皇産霊(=高木大神)、狭山の栞によれば手力雄(=スサノオ)

中古のころは尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)と称し

狭山之栞によれば「尉殿神社は村の惣鎮守也。祭紳不詳。伝云ふには手力雄命(たぢからおのみこと)なりと」

明治13年より高木神社と称する。

明治10年に塩釜神社が勧請された。

(ここより10km東方の)尉殿大権現に級長津彦(しなつひこ=鹿島大神=海幸)命と級長戸辺(しなとべ=イチキシマ姫)命を祀っていた。水の神様だった。級長津彦命と級長戸辺命は男女二座。

注)青文字は百嶋神社考古学解釈

 

本殿神紋の大幡主はいいとして…

まずこの高木神社周辺に高木地名・姓が集中していることから、高木大神の縁者がここに入植したと考えるのが自然です。

高皇産霊(=高木大神)を祀っていたというのが元々の祭神、だと考えたいです。

 

次に手力男(=スサノオ)はこの近辺で見られる九頭竜神社の祭神でので、どこかの時点で合祀されたのでしょう。

ここ高木神社の境内にあった正体不明のお社が九頭竜神社であるのなら、上記の手力男の表記は納得できます。

 

中古の頃に尉殿大権現と呼ばれていた、と。

狭山之栞によれば尉殿大権現の祭神が手力男(=スサノオ)だった、と。

手力男という呼び名は九頭竜神社のものですので、尉殿大権現は九頭竜神社の祭神・手力男をそのまま採用していたのかな? という程度しか言えませんね。

 

一方でここ高木神社の10km東方にある上記同名の尉殿大権現の祭神を参考に挙げてあります。

それによると祭神は級長津彦(しなつひこ=鹿島大神=海幸)命と級長戸辺(しなとべ=イチキシマ姫)命です。

しかし境内末社の祭神が分からないことには何とも言えないので一旦保留とします。

いずれにしましても尉殿大権現とされるのは中古の話であって、高木の名前が当地に入ったのはそれ以前だと推測します。

 

以上の材料を考え合わせますと、やはりここ高木神社は元々高木大神系の人々が入植したコロニーで、後に手力男や尉殿大権現が入ってきたが明治期になって元々の高木神社の名前に戻すことが出来た…と類推しました。

このように歴史の変転があると神社分析は難しいです。

 

では本殿の千木と鰹木が表す女神は一体誰なのか?

 

普通「表に書かれている祭神は本当の祭神じゃなくて千木・鰹木が表している祭神がオリジナルなんですよ」という氏子さんたちの意思表明だと思うのです。

ここ高木神社の場合、オリジナルの祭神は高木大神系なのは間違いないと思います。後の時代に入ってきた手力男や尉殿大権現によって覆い隠されていたけれども明治になって高木大神を看板に戻すことが出来た、と。

であるならば、高木大神系であり尚且つ女神としてここ高木神社に祀られるにふさわしい祭神は誰か?

仮説ではありますがタクハタチヂ姫(高木大神の娘)を想定したいと思います。

 

この柳瀬川を遡上するシリーズの最後でご紹介する狭山神社(狭山丘陵西端)に密かに祀られているタクハタチヂ姫が、ここ高木神社に祀られているオリジナルの女神じゃないかと想像しています。