名無しの川を終点まで遡上してたどり着いたのがこの狭山神社です。ちなみに狭山神社はここ狭山丘陵の西の端にもあります。(ここは東の端です)

 

■狭山神社・・・東京都東大和市狭山2丁目1326

 

関東平野の真ん中を流れる大河・荒川へ注ぐ柳瀬川

 

その柳瀬川の上流部、支流がいくつか分岐しています。そのうちの名もなき川が狭山丘陵の南のキワに回り込んでいます。

 

その終点辺りに狭山神社があります。

 

小さい神社で、やや高台になった住宅地にぽつんと立っています。

 

イザナギ、イザナミがセットになっています。

その下に書かれている「御霊大神」が曲者ですね。イザナミの下に「・」がなくて、このまま素直に受け止めれば「イザナギ、イザナミと並んで御霊大神がある」のではなく「イザナギ、イザナミが御霊大神なんだ」とも受け取れそうです。

この点はどうとでも受け止められそうな話なので確定などできませんが、可能性の話として「イザナミ&イザナギ=御霊大神」と言っていると受け取れなくもない程度ですね。※1

なんでこんなに拘るかというと、ここ柳瀬川水系とは隔たった多摩川流域にある有名な武蔵大国魂神社の主祭神が「御霊大神」と呼ばれていて正体不明なのです。(武蔵大国魂神社は後程レポート予定です)

百嶋神社考古学では武蔵大国魂神社の真の祭神を大国主としていて、御霊大神=大国主なのかもしれませんがなんとも言えないほど薄い関連性に感じられますね。

 

いずれにしましても、近畿奈良政権の関東への入植(侵略)に向けた橋頭堡である武蔵大国魂神社※2と同じ祭神・御霊大神が、武蔵大国魂神社から北へ大きく離れたここ狭山丘陵に祀られているということの意味。

それは単純で、多摩川から上陸した近畿奈良政権の先兵の手がここ狭山丘陵にまで及んでいたということに他なりません。

 

問題はそのルートです。

ご存じの通り武蔵大国魂神社とここ狭山丘陵は広大な武蔵野台地によって隔てられています。

武蔵大国魂神社から真北へ延びる官道が発掘されていますが、これを利用し狭山丘陵へ達した可能性も無くはないですね。

 

イザナギとイザナミは婚姻していた時期が短く、別れた後イザナミは大幡主と結ばれています(熊野神社系)。イザナミ、イザナギがセットになっていない場合が多い理由はそういったことだそうです。

ここの狭山神社の場合は2通り考えられて、1つは神代の出来事とは関係なく単に一般的な日本神話に基づいただけの配神、もう一つはイザナギとイザナミが結ばれていた間の事を反映した配神、です。

どちらかは分かりませんが、最後に書かれている御霊大神というのがカギになりそうです。

 

これを見ますと起源は不詳ですが古くからあったらしく、明治期に新築した、と。

 

拝殿

神紋は三つ巴(大幡主)

 

 

本殿。千木は外削(男神)、鰹木は不明。

 

神紋が大幡主なので、祭神にイザナギが入っているのが不自然、となります。

推測ですが、ここの本来の祭神は大幡主、明治期のアレでイザナミ&イザナギのセットが入れられた、といったところなのかな?

 

狭い境内には2つお社があります。

こちらは不明ですが、由緒書にあった山神社かな? 祭神は不明です。

 

赤く塗られているので稲荷かな?

 

ここの大元の祭神が大幡主だったとして、大幡主は主に日本海側~九州を支配した海洋王ですし、兄多毛比を関東に送り込んだ豊玉彦の父ですので特に不自然さはないです…くらいしか言えませんねぇ。

 

※1逆に、どうとでも受け止められるように「御霊」などという表記にしたのかもしれませんねぇ…

 

※2この辺りの話については後日武蔵大国魂神社のレポートで解説します。