イヤハヤ…

古川清久氏と行く上野の国神社歴訪の旅番外編として榛名神社入口のそばにある榛名歴史民俗資料館をレポします。

近年博物館などでは写真撮影が禁止される傾向にあります。展示物の著作権がらみだと想像するのですが、ルールに従い管内展示物写真をここでは掲載しません。

公共物である展示品を撮影しSNSで公開して収益を上げる輩を警戒しているのかな、などと想像しますが…

 

■高崎市榛名歴史民俗資料館・・・群馬県高崎市榛名山町138-1

 

 

展示資料、展示物を見て思いつくままに書いてみましょうか。

 

榛名神社は延喜式神名帳(927)に記載された小社の1つだそうです。google mapで調べると群馬から埼玉まで広範囲に榛名神社が広がっているので、榛名神社が小社か??などと感じますねぇ。

7世紀後半には群馬県内最古の寺院が建てられ、9~11世紀にも寺院は建てられたそうです。

 

中世になると神仏習合によって榛名神社は寺となり、南北朝対立がここでもあったそうです。(南北朝対立がこんな地方にまで及んでいたとは)

 

江戸時代に入ると徳川家康のブレーン・天海僧正が榛名神社を寺院として配下に組み込んだそうです。全国の寺院を通じて支配を強めたわけですね。

 

徳川四天王といわれた井伊直正は高崎を治めたそうです。

 

年表を見ると

・旧石器時代から弥生時代の痕跡が発見されている。

・6世紀末に榛名山噴火、これ以降にタタラ跡、古墳が見つかっている。

・7世紀以降律令制にとりこまれていった。

・1441年、里見義実が房州へ移住。

・16世紀、武田信玄、武田勝頼、真田昌幸、北条氏、徳川家康といった戦国武将の支配を受ける。

・1601年、検地。検地は租税制度に完全に組み込まれたことを意味しますね。

 

ここで古川清久氏から超重要ワードが…

「榛名(はるな)の榛って秦氏(はたし)の秦だよね」

 

がーーーーん!