イヤハヤ…

榛名神社の後編、いよいよ本殿へと向かいます。本殿に近づくと階段が急こう配になっています。

 

 

 

これは神楽殿。写真右に見えるように改修工事中の足場が方々にあり、うまく撮影できませんでした。

これが拝殿正面

拝殿のアップ。

さらにアップ。

本殿内部の写真がありますが小さくてよくわからん

これは急こう配参道の途中にあった祠。

杵築社、と書いてあるのかな?

杵築といえば出雲大社の古い呼び名がそうだったような…

その奥

さらに参道わきに小さな祠がありましたが、これ以上の手掛かりはありません。

 

等身大の立派な七福神と烏天狗の像がありました。これについても古川清久氏の解説を青字で掲載します。

 

参道の途中にあった七福神像について。

七福神信仰は江戸時代からあり、それを広めたのは天海僧正。天海僧正はもと比叡山の僧侶で神仏混交を持ち込んだ。山王一実神道(山王権現)をつくり神仏習合を普及し神社を抑え込むことをした。

江戸時代において仏教で支配する構造を作ったのが天海僧正で、火の神、土の神をまつる榛名神社も神仏習合にしてしまい、七福神信仰を江戸時代に流行させた。

毘沙門天=ヤタガラス、布袋=大幡主かもしれない。

布袋という地名が中国の海南島にある。

弁財天=市杵島姫

七福神は全て大幡主系の中国の南の島の海岸部、インドから連れてきて流行させたもの。この辺りは江戸時代の話で我々神社研究の領域からは外れる。