イヤハヤ…

 
照りつける太陽の下、太宰府地名研究会・古川氏から教えていただいた塩屋大明神へ向かいました。
●塩屋大明神・・・熊本県天草市五和町御領5588
 
 
 
ご覧のとおり小さくて、道端にある祠と大差ないです。

 
塩屋大明神の塩屋とはおそらく製塩小屋なのかもしれません。ここは海のそばではないのですが、かつては水際線が近くて製塩業をやっていたのではないでしょうか。
古川氏の説明によるとここの重要性は「塩屋大明神=猿田彦大神」と明記してある点です。猿(さる=エン)+田(た=デン)、つまり猿田彦は塩田彦の書き換えであり、製塩業の神様だったという説明です。その説明に一定の根拠を与えているのが、ここ塩屋大明神だというのです。
 
一般には猿田彦は天孫降臨の手引きをした雑魚キャラというイメージしかないと思います。それは日本神話をベースにしているとそうなる訳ですが、百嶋神社考古学では猿田彦は多くの異名を持っています。
山幸彦、ニギハヤヒ、彦火々出見、伊の大神、香取大神、です。大物ばかりです。
 
たしかに私が見てきた範囲でも、日本神話に書かれているようなキャラとは思えないほど広範囲で見かけましたし、「猿田彦大神」という表記が多々ありました。つまり、日本神話では猿田彦は貶められて表現されている、としか考えられません。
 
その猿田彦が東シナ海から黒潮に乗って日本列島にたどり着く諸民族がおそらく最初に漂着するであろう、ここ九州西海岸の天草で初期に製塩業を支配していた者たちの象徴であった、と考えられます。
ただ、久留米地名研究会・古川清久氏はもう一歩深い考察をされていますが…
拝殿です。
拝殿内部から後方の祠が2つ見えます。
左の祠です。
これは大幡主か?! 説明板に大幡主が一切書かれていない理由とは??
上に乗っかっているのが塩釜だそうです(古川氏)。
文字が読めないのですが、これが猿田彦大神か?
 
祠の周辺では農地造成工事をしていましたが
水田の泥には貝殻がいっぱい含まれていました。
これはすぐそばの川ですが、流れはほとんどなくて潮の匂いがします。
そばの水田の風景ですが、右奥のように石垣で高くなった場所に民家があります。水際線が近かった時代の名残なのかなと想像しました。
これは高台から周辺を見下ろした図です。
塩田は、水際線が後退すれば容易に水田へと転換できたでしょう。
猿田彦は製塩の神であり、また稲作の神でもあった、ということですか。