イヤハヤ…

 
青谷上寺地遺跡では神社信仰の痕跡を見つけられなかったので、ここ妻木晩田遺跡では何とか見つけたいと、無い知恵絞りました(笑
 
台地を降りた人々は山裾・微高地に住んだはずです。神社信仰はその山裾のそばに残っているハズ! という目論見で地図からピックアップした神社を巡ってみようという試みです。
 
1)壹宮神社・・・鳥取県西伯郡大山町 上万1124
 
 
 
妻木晩田遺跡の北西すぐです。
周辺地図を見ると昭和初期まで周りは氾濫原だったんだろうなと想像します。
 

ここは平地にぽつんとある立地です。
 
百嶋神社考古学では、天忍穂耳命=鹿島大神=海幸彦です。
下照姫はイチキシマ姫と大国主の娘です。大国主は大幡主の下で活躍し認められて、大国主の孫娘・イチキシマ姫と婚姻します。しかしイチキシマ姫はそれまで独身だったのではなく、実は天忍穂耳命=鹿島大神=海幸彦の妃だったのです。
つまり大幡主の命令でイチキシマ姫は天忍穂耳命→大国主へと鞍替えさせられた、というわけです。う~ん、大幡主やるなっ!
 
なので、この壱宮神社の祭神・天忍穂耳と下照姫は奇妙な組み合わせに見えます。
だって天忍穂耳と大国主は、大幡主麾下の海洋覇権を担う次世代若頭ライバルで、天忍穂耳とそのライバルの娘がここに並んでいるのですから。もちろん天忍穂耳と下照姫は婚姻していませんよ。
 
う~む、意味が分からない。
 
これは何でしょうか…
 
門をくぐり
 
境内に入ると
 
拝殿です。家紋が「壱」って何だろう。
 
 
本殿です。
千木が内削ぎなので女神を祀っています。ということは主祭神は下照姫でしょう。であるなら、天忍穂耳命が祀られているのは単に日本列島海岸部を広く支配した鹿島大神として天忍穂耳命を合祀した、ということか?
 
奥にはちいさなお社がありました。石造の台座に刻んであるのは何なのか。全く分からん。
 
本殿に向かって右側に小さい祠があります。こちらは縦削ぎ(男神)ですね。
 
庄田社とあります。
 
澤形神社、杵築神社、宮田神社そして素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。
澤形神社の澤形、宮田神社の宮田は当地の字(あざ)名だそうで、下照姫命は宮田神社の祭神だったそうです。
杵築神社は出雲大社のこと、なのでしょうが…
素戔嗚尊がまるで普通の表札のようにかけられています。
 
庄田社を別アングルから。
 
さらに立木の奥には巨石が寄り添っていました。ムム…
 
さていつものように百嶋系譜に書き出してみますね。
赤□が主祭神、緑□が庄田社、青□は参考です。
やっぱり赤□は変ですね。系譜が違う神様を並べていますので何らかの意図を感じます。藤原が政権を握ってから合祀されたのかな。それだったら分かりますね。
下照姫がいる以上その父母大国主・イチキシマ姫の存在は背後にあるでしょう。当然合祀されていて不思議はないのですが、藤原が政権を握ってから大国主・イチキシマ姫を消したのかも…
緑□のスサノオはこの系譜の中では仲間はずれになってます。なんでここにいるのかな?って感じです。うまく想像できません。
 
このそばに高麗郵便局があり、字名も高麗です。
となれば、ここに初期に入植したのは半島由来のスサノオ一族かもしれませんね。