外曾祖父・川田高之助
長男・川田○○
外祖父・次男・川田友之
伯父・川田俊之
|従兄 長男・川田○○
|従兄・次男・川田太三
叔母・川田泰代
父・吉永芳之=母・吉永和枝
吉永小百合=岡田 太郎
※遠縁・歌手・佐良直美
(佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士)
※山本直純の妻・山本正美も遠縁にあたる
(山本正美の妹の夫の母が、吉永小百合の母のいとこの妻と姉妹同士)
吉永小百合(よしなが さゆり)
1945年〈昭和20年〉3月13日-
俳優・歌手・ナレーター
司会者・タレント
本名:岡田 小百合
旧姓:吉永
1960年代を代表する人気映画女優
10年間で、70本以上の映画に出演
吉田正の門下生として
数多くのレコードを世に送り出している
夫はフジテレビディレクター
共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎
生まれ: 1945年3月13日 (年齢 79歳), 東京都 渋谷区
配偶者: 岡田 太郎 (1975年から)
両親: 吉永 芳之、 吉永 和枝
身長: 157 cm
アルバム: 吉永小百合よみがえる歌声 ~この道は長いけど 歩きながらゆこう~
父の吉永芳之(鹿児島県出身)は
1910年、薩摩士族の末裔として鹿児島県に生まれた。
その後、旧制七高から東京大学法学部法律学科卒業
九州耐火煉瓦、
外務省嘱託を経て、
出版社「シネ・ロマンス社」を経営。
飯島正
双葉十三郎らと
映画ファン雑誌「シネ・ロマンス」を刊行するも
事業に失敗している
母の和枝は大阪に生まれ、
兵庫県宍粟郡(現・宍粟市山崎町)で小学生の頃まで育ち、
「潮音」に所属する歌人であった。
父は1989年に亡くなり
母は2005年に亡くなった
少女時代は裕福な環境ではなく、
上記の父親の事業の失敗から、
家の米びつに1粒の米もない日もあったという。
小学校の時は借金取りが押し寄せたこともあった。
それに見かねた彼女は「私、新聞配達をする」と言ったが、
親に止められたとのこと。その後、ラジオ出演するにしたがって、
家の生活も少しずつ楽になっていったという
外祖父の川田友之は東京府士族川田高之助の次男として生まれ、
のち英文出版社の大観社社長を務めた
叔母に『婦人画報』
編集長「アムネスティ・インターナショナル日本支部」
の創設メンバーの川田泰代が名前を連ねるなど
執筆の世界とも所縁が深い。
なお伯父の川田俊之(のち友之を襲名)は大観産業取締役、
日本水泳連盟常務理事
従兄はゴルフ評論家の川田太三(俊之の次男)である。
遠縁に歌手の佐良直美がいる
(佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士)
山本直純
(作曲家、指揮者)の妻の山本正美も遠縁にあたる(
山本正美の妹の夫の母が、
吉永小百合の母のいとこの妻と姉妹同士)。
1973年(昭和48年)28歳の時に
15歳上のテレビプロデューサー・岡田太郎と電撃結婚した。
夫の岡田は共同テレビジョンの社長・会長を歴任したが、
2024年9月3日に死去
岡田との間に子どもはいなかった。

