五十嵐淳子=中村雅俊
|長男:俊太(しゅんた)
|長女:由佳(ゆか)
|次女:亜美(あみ)
|三女:里砂(りさ)
五十嵐 淳子(いがらし じゅんこ)
1952年9月20日 - 2026年4月28日
女優。戸籍名、中村 淳子(なかむら じゅんこ)
血液型A型。埼玉県浦和市(現さいたま市)出身
身長163cm
夫は、歌手・俳優の中村雅俊。
家族は夫と1男3女。
長男の中村俊太
元俳優
三女はモデル・タレント
中村里砂
東京・渋谷区千駄ヶ谷に自らのフラワーショップ『パストーン』を主宰
フラワーアレンジメントスクール講師も務めており
好評で各種イベントなどにも参加していたが
2020年に惜しまれながら閉店
1999年 - 夫・中村が歌う曲『哀しい人』
プロモーションビデオで23年ぶりの夫婦共演を果たす
ほぼ同時期
渋谷区千駄ヶ谷に子どもの頃からの夢だった
フラワーショップ『パストーン』をオープン
2004年
「銀婚旅行」のイメージにふさわしい夫婦
「JAL銀婚旅行ベストカップル2004」
2026年4月28日 - 急病のため死去。73歳没
ドラマ『俺たちの勲章』にゲスト出演し中村と知り合ったが
「それまでまともな恋愛をしたことが無かったのに
すぐに同棲を始めて結婚してしまいました。
自分でも驚きでした」とトーク番組で語っていた。
長男・俊太を授かったために結婚した「授かり婚」
デビュー当初は、五十嵐じゅんとして
清純派ムードが愛され、男の子を中心に人気を博していたが
週刊誌に銀座の高級クラブでホステスとして
働いていた過去を暴かれた
1973年4月
正式に芸能界を引退
以降2年間マスメディアから消えていたが
渡辺淳一『阿寒に果つ』を読んで感銘を受け
1974年秋
東宝で同作品の映画化が決定
同作の田中収東宝プロデューサーに売り込みをかけ
1975年1月17日
『阿寒に果つ』のヒロインに決定
芸能界の復帰が決まった
五十嵐は「芸能界には友達もなく
もうこのまま引退でいいと思っていたけど
原作を読んで初めて仕事をやりたいと思いました。
これを機会に本物の役者になりたいんです」と話した
『阿寒に果つ』のヒロインに決まっていなければ、
芸能界に復帰しなかったかもしれない[11]。
『スタア』(平凡出版)
1976年4月号で自身の過去を正直に話すとし
生い立ちと芸能界入りの経緯について、
浦和生まれや父は電器店やレコード販売の経営などは、
それまで伝えられた通りだったが、
キネマ旬報社刊行
『日本映画俳優全集 女優編』
「高校在学中、雑誌のモデルをしているところをスカウトされ…」
の件は事実でなく
「川村高校2年17歳の夏に家出し、高校は中退した。
銀座のクラブ『徳大寺』で1週間だけアルバイトをした。
このとき、上条英男さんに会ったが、すぐに芸能界入りしなかった。
芸能界入りの直接のきっかけは18歳の誕生日の後
1970年の秋
東映東京撮影所に遊びに行ったときに上条さんに再び会って芸能界入りした」
などと話した
『週刊セブンティーン』
1972年3月14日号の「アイドル名鑑」には
「東映ニューフェースとしてデビューして芸能界入り」
梅宮の実弟は銀座のナンバーワンスカウトと言われた人で
梅宮も自身が勝手知ったる
銀座のホステスをタレントとしてスカウト
自身の主演映画に出演させ
友人の上条の事務所「ジュエム・カンパニー」
(後に「サンズ・カンパニー」)に預けていた
梅宮の主演映画は"不良性感度映画"ばかりのため
既存の女優は出演を嫌がった
西城秀樹は「僕のサインは、同じ事務所にいた五十嵐淳子さんが考えたんです」