『トンイ』というドラマを知っていますか?

2010年に韓国で放送された時代劇ドラマで、
今NHKで日曜23時からやっています

わたしもある日偶然テレビでやっているのを発見しました(*^^*)





朝鮮王朝時代、賤民として生まれながら最後は王の側室にまで駆け上がった
トンイという女性のお話です。

ドラマのトンイはまっすぐで頑張りやさんで、
それゆえ自然とステップアップの道へと導かれていきます
(王道のサクセスストーリー?)



これの何が凄いかっていうと、
トンイが実在の人物だということです(//^^//)
厳しい身分社会というイメージのあった朝鮮王朝で
これほどの昇進を果たした人が本当にいるのか・・・という感じです



実際のトンイはドラマ同様、賤民として生まれ、宮中で女官の雑用をしていたのですが、
最後には第19代王・粛宗の寵愛を受けて側室となりました。
さらに、後に代21代王・英祖となる男の子を産み、彼女は王の母となりました。

英祖は朝鮮王朝のなかで在位期間が最長の王です


けれど、そこに到達するまで(してからも)大変だったでしょうね・・・
この前のドラマでも「あの奴婢が監察府(カムチャルブ)の女官に!?」と、
ほかの女官からの風当たりが(;0;)




だけど、どんな時代にも不可能はないんだと、トンイを見て思うのです(・v・)







参考文献:康熙奉『知れば知るほど面白い 朝鮮王朝の歴史と人物』


松山城編パート2ということで、ふみふみ的見どころをご紹介します!!
①・ 松山城の石垣はどうなっているの??
松山城の石垣は、「登り石垣」という様式です。
史跡巡りサークルー旅イロー

「登り石垣」とは、ふもとの館と山頂の天守を山の斜面を登る2本の石垣で連結させたものです。
山腹から侵入しようとする敵を阻止する目的のため、この様式がなされています。
あの「万里の長城」と同じ(*_*)!!
豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、日本遠征軍の倭城築城で採用された防備手法と言われています。
国内の現存12天守の城郭では、松山城と彦根城だけに「登り石垣」が確認されていて、
当時の日本・朝鮮・中国の築城交流史をうかがえる重要な資料として評価されています。
めっちゃおもしろい!!

前の記事でちらっと述べたのですが、加藤嘉明公は、水軍の名将でした。
朝鮮出兵で倭城を拠点としており、その経験から松山城築城に際しても、
「登り石垣」を防備として用いたものと考えられています。
経験から得た知識を実践することの大切さが伺えますね(*^_^*)
自分も見習わなきゃ!!

②・ どのようにして究極の防御が成り立つの??
これは門の仕組みに答えがありました!!
松山城には、3つの有名な門があります。
「戸無門」「筒井門」「隠門」です。
「戸無門」は、松山城の本丸広場への南側からの順路にあたる、江戸時代に建造された重要文化財の門です。
史跡巡りサークルー旅イロー

この門は築城当時から門扉がありません。
敵を防備の要である筒井門へ誘いこむための戦略的な意味合いで設置されたとみられています。

城の防備を固める上で、最も重要堅固な意味合いを持つのが、
「筒井門」と「隠門」です。

史跡巡りサークルー旅イロー
「戸無門」を通過して、目に付くのは「筒井門」で、その奥にある「隠門」は分かり難くしています。
これは、侵入者の注意を筒井門に向けさせ、そこを破ろうとする敵を隠門から打ち出て、背後から襲う戦略とみられています。
【一生懸命説明書いてたんだけど、
自分でもよく分かんなくなっちゃったから簡単に表してみた】

敵、戸無門から入る

門がないことに気づく
「ラッキー!!この城攻めるの超楽じゃんww」
そのまま目についた筒井門を破ろうとする

タイミングを狙って城の兵士達が隠門から出撃☆
背後から敵を狙い撃ち☆

敵「は??どういうこと!?なんで兵士いるの!?」

松山城主&兵士「ぷぷww敵ざまあwwwwwww」

という戦略なわけです!!
この3つの門が合わさって絶対防備の城が成り立つのです!!
ほんとおもしろい!!

実は、私の中で松山城は行ってみたい城ベスト3に入るほど気になってたお城だったんです(*^_^*)
もうほんといけてよかった~(^^♪
次は歴史仲間と行きたいなぁ。

次回はかずら橋についてご紹介しますヽ(^o^)丿

こんにちは。
知恩院へお花見に行ってきました!
めっちゃ綺麗やった...
写真で伝わるといいんですが
史跡巡りサークルー旅イロー

はい、すいません!
写真上手くとれなかった(涙)
ということで、お花見まだの方は是非ご自分の目で!!!

ちなみに知恩院は浄土宗の総本山です。
三門などは国宝で見ごたえアリ☆