こんにちは!
前回に引き続き、日本とイギリスのお話です☆

江戸時代はじめ...
1613年に平戸に商館を置いたイギリスでしたが、
10年ほどで商館を閉鎖し、
日英間の交流は陶磁器などに限られることに(>_<)

その後、幕末になり...
1858年に条約を結ぶと、日本にイギリス人が去来するようになりました☆
初代イギリス公使ラザフォード・オールコックの取り計らいにより、
1862年のロンドン万博に日本の美術工芸品が出品されました!
そして、1870年代から、日本や日本文化に関心が持たれるようになりました♪
ホイッスラー「陶磁の国の姫君」(1864年)やモネ「ラ・ジャポネーズ」(1876年)には明らかに日本の影響がッ!
また、暖炉の上に団扇を飾る家が多かったため、
「日本の団扇は各家庭の必需品」とまで言われたのもこの頃だそうですょ♪



参考:木下卓、窪田憲子、久守和子編著『イギリス文化55のキーワード』(ミネルヴァ書房 2009年)



地元PR!!第2弾!!ということで、今回は神戸市のお隣の明石市について紹介したいと思います!!

話は変わるんですが、こないだ新聞見てて気づいたんだけど、次の大河ドラマは黒田官兵衛なんだね!!
そういえば姫路駅でも宣伝してたことを思い出したよ(゜∀゜)

ということで、姫路市のお隣のお隣の明石市について紹介したいと思います。

まずは明石といえば『源氏物語』ですよね!!
光源氏が明石の君と出会う地、それが明石です!!
そんな源氏物語ゆかりの地には源氏物語ゆかりのお寺があります。
1つが無量光寺。明石城主松平忠国が作らせた源氏物語ゆかりの源氏稲荷が あります。また光源氏の明石の屋敷のモデルでもあります。
2つめは善楽寺。明石の君のお父さんの明石の入道ゆかりのお寺です。
3つめは現光寺。別名が源氏寺というそうです。

次に明石といえば平忠度(清盛の異母兄弟)のお墓の忠盛塚があります。
また、腕塚神社には忠度の腕が祀られているそうな…


古代ばかりじゃ面白くないというそんな人には、明石駅の目の前にある明石城や赤穂浪士が仇討ちを祈願してうえた梅の木が残る月照寺、日露戦争でロシアのバルチック艦隊をやぶった東郷平八郎の筆による忠君碑の日露戦争忠君碑もありあす。



史跡巡りサークルー旅イロー
↑↑明石城


そして最後に明石に来たからには明石焼きを食べて帰るべし!!
明石ではお店の看板は明石焼きじゃなくてたまご焼きなのでそこに注意!!



きっと来年は大河ドラマのおかげで姫路のほうに観光客が増えるとおもうから、ぜひ姫路に来たならお隣のお隣の明石とかそのまたお隣の神戸にもよっていってほしいです(^^)

トルコネタもそろそろ封印でしょうか(笑)お春です


本日はカッパドキアのご紹介!

気球でのツアーが有名なのでご存じの方も多い地かもしれません(*^_^*)


カッパドキアと言えど広し。なのですがやはり有名なのはこの不思議な岩の集合群

史跡巡りサークルー旅イロー




私は感動しつつも気分が悪くなりました(笑)

実はカッパドキアにあるギョレメという中心都市には

トルコ語で「見るな」という意味があるのです

自然に出来た地形なのですが古代の人々も気味悪く感じていたのでしょう…納得(笑)




史跡巡りサークルー旅イロー

パジャパーという都市には不思議なきのこ岩もいっぱい


さて、カッパドキアが価値あるのは、この不思議地形だけではありません!

実は宗教文化が根付いていた証が見られるのです*

それもイスラム教ではなくキリスト教の!


よく言われるのは、ローマ帝国の迫害を逃れたキリスト教徒が

カッパドキアの地に隠れ住んだというもの。

ですが、古代ギリシャ・ローマ、トルコ史のA教授によると

実はキリスト教徒は自ら好んでカッパドキアを訪れたのだとか!

その理由は…?


「いつまで経っても終末は来ないし、神の国に行けるどころか

日常生活で俺らもたるんじゃうよ~

…そうだ!終末っぽい土地で生活してみようぜ!

このままじゃ俺たち堕落しちゃうぜ!」


そう、終末を想起出来る土地でストイックに生きるため…

そして見つけたのがカッパドキア

きっと「この世の終わり!万歳!」

って気持ちだったのでしょうね(笑)

純粋過ぎるぞ!(笑)


その後、カッパドキアは東ローマ帝国の支配下に入るなどしましたが

最終的にはセルジューク朝に攻め落とされ、オスマン・トルコに領有され

現在のトルコ領となりました(*^_^*)



史跡巡りサークルー旅イロー

カッパドキアの洞窟部屋にはトイレや台所といった生活空間から

真っ暗な懺悔の部屋や壁画の描かれた教会があります*


で、カッパドキアの教会に入って、綾と私は気になることを見つけました

壁画には十二使徒やマリアや聖人、もちろんイエスも描かれていたのですが

顔が削り取られていたのです、が、主に削り取られていたのはイエス


すぐに、セルジューク朝あるいはオスマン・トルコが支配時に

偶像崇拝禁止を掲げて削ったのだと思ったのですが

ガイドさんに質問してみると驚きの答えが!


なんと、削ったのはキリスト教徒だと考えられているのです!

なぜキリスト教徒が神の子イエスの顔を削ってしまったのか


ガイドさん曰く、おそらくですが病気や何かお願い事があった時

削ったイエスの顔の壁土を飲むなり持ち帰るなどしたのではないかと


聖遺物崇拝ではないですが、壁画であってもご利益があると思われていたんでしょうね

私から見ると罰あたりな気もするのですが…(笑)



史跡巡りサークルー旅イロー

行かれる予定がある方は、ルネサンス以前の貴重なキリスト教壁画が

見られるので洞窟教会はお見逃しなく!

削られている顔も注目してみてくださいね



他にはカイマクル地底都市もおもしろかったです

敵を想定した上での構造や性質の異なる巨大な岩を、

どのように小さな穴に通して奥へ入れたのかといった謎、

不思議な空間でした…

地下の矢印見失うと簡単に迷子になると思うので気を付けてくださいね(笑)