世界最悪の毒殺事件
ランキングTOP10(被害者数)
雑学ミステリー
刃物や鈍器などの凶器を使ったり、
直接絞め殺したりと、人を殺すための方法は
数多くあります。
中でも毒物は屈強な男性でなくとも
容易に人を殺めることができます。
そのため歴史的に見ても、
多くの人が毒物を使って人を殺したり、
殺人によって自分の目的を叶えてきました。
今回は、そんな世界の毒殺事件を
被害者数でランキングにしました。
10位:パラコート連続毒殺事件(13人)
パラコート連続毒殺事件は
1985年4月30日から11月17日の、
およそ半年の間に日本各地で発生した毒殺事件です。
自動販売機の飲料取り出し口に除草剤として
利用されるパラコートを混入させた飲料を
置いておくことで、置き忘れと勘違いして
口にした人に毒物を飲ませるという事件です。
1977年に起きた、同様の手口で毒物を混入させた
青酸コーラ殺人事件の教訓を活かし、
都市部では現在のように蓋を開けると
リング状の封印が千切れて開封が
分かるようになっていました。
そのためパラコート連続毒殺事件では、
まだ更新の追いついていない郊外で多く発見しました。
パラコート(パラクアット)は1978年に毒物に
指定された薬品であり、飲むと嘔吐や喉の痛み、
肝腎機能、および「パラコート肺」と呼ばれる
独自の肺線維症にかかり、死に至ります。
この連続毒殺事件では半年ほどで、
模倣犯のものと思われるものも含めて
34件も発生し、そのうち13人が死亡しました。
当時パラコートは18歳以上で印鑑さえあれば
購入することができましたが、この事件以後、
その毒性の強さを危惧して各所で規制が強まり、
今では製造が中止、除草剤としてのシェアは
なくなっています。
しかし依然、国内での農薬中毒の少なくない割合を
パラコートは占めています。
9位:地下鉄サリン事件(13人)
1995年3月20日、オウム真理教は
帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)の丸ノ内線、
日比谷線、千代田線の3つの路線を走る5つの
地下鉄車両に「サリン」という危険な化学物質を
散布しました。
それが地下鉄サリン事件です。
事件の正式名称としては
「地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件」、
英語では「Tokyo Attack」と言います。
「坂本堤弁護士一家殺人事件」、
「松本サリン事件」と共に「3大オウム事件」の
ひとつに数えられています。
サリンは1938年に当時のナチスドイツで
開発された殺傷性の高い神経ガスで、
縮瞳、嘔吐、下痢、頭痛などの症状が表れ、
心肺停止によって死亡します。
当時、オウム真理教の指導者である
麻原彰晃(松本智津夫)は「ヴァジラヤーナ」と言う
方針を定め、教団の重武装化や細菌兵器などの
開発などを進めていました。
地下鉄サリン事件は大都市、公共交通機関に
無差別に化学兵器が使用された初めてのケースです。
当時は通勤時間帯で多くの人が電車に乗っていたうえ、
駅員や車掌、更に初動で装備が不十分なまま乗り込んだ
警察官までもが被害に遭っており、死者こそ
13人でしたが負傷者は6300人以上も記録しています。
そのうえ事件の被害者や目撃者の中には
パニック状態の車内や凄惨な被害者などを
目撃することで、現在も
PTSD(心的外傷後ストレス障害)を
患っている人もいます。
8位:メアリー・アン・コットン(21人)
17世紀のイギリスで、メアリー・アン・コットンという
女性の周辺で不可解な死が相次ぎました。
彼女と結婚したウィリアム・モーブレーと
ジョージ・ウォード、ジェームズ・ロビンソン、
フレデリック・コットンという4人の夫や夫の家族、
その間に設けた子どもが次々と亡くなっていくのです。
しかも皆が胃腸の障害などが原因で死亡しており、
メアリーは夫が亡くなるたびに生命保険を
受け取っています
4人目の夫であるフレデリック・コットンとメアリーが
結婚した後、わずか1年足らずでフレデリックはもちろん
メアリーの前夫との連れ子、フレデリックの姉、
フレデリックとの間の子、更には下宿人であった
ジョセフ・ナトラスが次々と死亡し、メアリー以外の
一家が全滅してしまいました。
そこで警察がいぶかしんで捜査を進めたところ、
遺体から砒素が検出されたことでメアリーによる
連続毒殺が判明しました。
メアリーは同様の手口で推定21人、
最低でも14、5人を殺害した、イギリスでも
最悪の連続殺人鬼です。
彼女が社会に与えた反響は大きく、
今でも「Mary Ann Cotton」という戯れ歌が
イギリスで歌われています。
7位:ヘヴンズゲート事件(39人)
ヘヴンズゲート事件は正確には毒殺事件ではなく、
カルト宗教団体による毒物を使った集団自殺です。
ヘヴンズゲートはマーシャル・アップルホワイトと
ボニー・ネトルスという人物が1970年代に
創始した宗教団体です。
アップルホワイトは古代宇宙飛行士説などの
オカルトに傾倒しており、ヘヴンズゲートも
当時のニューエイジ運動同様黙示録や進化論、
グノーシス主義やSF小説などを混交した教義を
採用していました。
1985年に共同創始者であるネトルズが死亡した後、
アップルホワイトは禁欲や魂の救済などの教義を
強化していきます。
そして1996年、ヘール・ポップ彗星の接近に伴い、
この彗星の後に信者を地球から退去させる船が
来るとアップルホワイトは主張し、
翌1997年3月22日ごろに信者38人と共に自殺しました。
彼らはフェノバルビタールという睡眠薬を服用して、
ビニール袋を被ることで窒息死しています。
6位:ジェニーン・ジョーンズ(60人以上)
ジェニーン・ジョーンズは1970年代から
1980年代にかけて自身が担当した60人以上の
乳幼児を殺害した准看護師です。
いわゆる「ヘルスケア・シリアルキラー
(医療連続殺人犯)」のひとりで、ジェニーンは
ジゴキシンやヘパリンなどの薬品を注射することで
乳幼児を殺めています。
ジェニーンは高校を卒業後に准看護師としての
仕事を始めますが、仕事が雑でしばしば職域を
超えるような判断をしがちということで病院を
転々としています。
一方で薬品などへの関心が高く、
その知識を殺害に活かしたのではないかと考えられます。
彼女による犠牲者の数は定かではなく、
起訴されたのは2件のみとなっていますが、
その犠牲者数は60人以上にも上ると推定されています。
これは新たな事件の発覚を恐れた病院側が
医療記録などを破棄したためだと言われています。
2017年には当時の囚人数対策として考案された
「模範囚として1日過ごせば、そうでない囚人の
3日分刑期を過ごしたことになる」という規則に
のっとってジェニーンが釈放されるおそれが
ありましたが、検察が別の事件を起訴することで
釈放を免れるという事態も起きました。
5位:マリア・スワネンブルク(90人以上)
マリア・スワネンブルクは19世紀のオランダで
毒殺を繰り返した連続殺人鬼です。
オランダ南部のライデンという街で生まれ、
ヨハネス・ファン・デル・リンデンという男性と
結婚して赤子や老人、病人などの世話をしていました。
その献身的な姿勢からマリアは
「Goeie mie(よき自分)」と呼ばれましたが、
その影で砒素を用いて連続毒殺をしていました。
彼女は最初に自身の両親を殺害し、保険金や遺産を
目当てに少なくとも102人もの人物に砒素を盛ったと
言われます。
亡くなったのは23人、更にマリアが関わった人物の中に
90人以上が不審な死を遂げており、40人以上に障害が
残されました。
日本での知名度はありませんが、
オランダでは彼女の知名度は高く、
マリアの名前を使ったジンやベーグルなどが
販売されています。
4位:ジョン・ボドキン・アダムス(163人)
1957年、アイルランドの開業医である
ジョン・ボドキン・アダムスが自身の受け持った
患者であるガートルード・ハレットを殺害した疑いで
公判にかけられました。
他にも1946年から1956年までの10年間で、
ジョンの受け持った患者は163人も亡くなっており、
しかもそのうち132人がジョンに金品を遺贈しています。
ガートルードもジョンにロールスロイスや
1000ドルの小切手を手渡した直後に昏睡状態に陥り、
そのまま息を引き取っています。
このような背景があったためジョンの公判は
アイルランド国内で大きな注目を集め、
「史上最大の殺人事件の公判のひとつ」、
「世紀の殺人事件の公判」などと言われました。
ガートルード殺害の件は「訴権の濫用」を理由に
無罪放免となり、ジョンはその後に名誉毀損罪で
逆に訴訟を起こしています。
ジョンの公判は、後に緩和医療の分野で
苦痛を緩和するための治療をするために守るべき
「二重の結果の原則」という原則の確立を
導くような法的な議論を呼んでいます。
ただ、ジョンは
実は評判のいい医師ではありませんでした。
実際に訴えられたようにモルヒネや
バルビツール酸塩を用いて患者を殺害したかどうかは
不明ですが、担当した患者に自身へ金品を
遺贈するよう強要したり、自分にとって都合のいい
遺言書を書かせるなどの行為を繰り返したとは
言われています。
そのためガートルードの件以前にも
「ジョンの右のポケットにはモルヒネの小瓶
左のポケットには白紙の遺言状が入っている」と
揶揄されていました。
現在ではジョンの無罪は誤りであり、
160人以上の患者を実際に手にかけたと
考える人も表れています。
3位:モスクワ劇場占拠事件(171人)
2002年10月23日、チェチェン共和国の独立を訴える
42名の過激派武装勢力がロシア連邦・モスクワ中央部の
ドゥブロフカにある「ドゥブロフカ・ミュージアム」
という劇場を占拠し、中にいた観客922名を人質に取りました。
過激派武装勢力のトップであるモブサール・バラエフは
ロシアに対して、第二次チェチェン紛争において
ロシア軍のチェチェンからの即時撤退を要求し、
もし1週間以内になされない場合は人質を殺害、
自分たちも劇場にしかけた爆弾で自爆するとしました。
子どもやイスラム教徒、妊婦や海外からの観光客、
病人など100人ほどは即座に解放されましたが、
それでも800人ほどが人質として劇場内に
監禁されています。
ロシア政府は表向き過激派との交渉を
行う方針としていましたが、チェチェンから
撤退する意志はまったくなく、裏では特殊部隊を
使っての解放作戦を立案していました。
しかしドゥブロフカ・ミュージアムは構造上、
人質のいるホールにたどり着くまでに30メートルもの
廊下や過激派によって封鎖された階段を渡る
必要がありました。
そのため正攻法では特殊部隊や人質に
大きな犠牲を出してしまうおそれがあります。
そこで特殊部隊は「KOLOKOL-1」というガスを
利用して過激派を昏倒させ、混乱の最中で
制圧することに成功しました。
この突入によって過激派42名全員と人質129名、
合計171名が死亡し、700名以上が負傷しています。
ロシアの当局は利用したガスは非致死性のものであり、
昏倒した隙に射殺したとしていますがガスの性質は
明らかになっていません。
2位:ティサウグの毒殺者(推定およそ300人)
ティサウグの毒殺者はハンガリーの
ナジレヴという村を中心に、1914年から1929年までの
15年で、推定300名もの人を殺したとされる殺人集団です。
ナジレヴのエンジェルメーカーとも言われています。
当時、ハンガリーでは女性の結婚相手を両親が決め、
拒否や離婚はできませんでした。
また第一次世界大戦の勃発によりハンガリー国内の男性は
みな出征し、ナジレヴ近郊に連合軍の捕虜の収容所が
できました。
その結果本来の夫を失ったナジレヴの女性が、
市内でのみ行動を許された連合軍の捕虜と結ばれる
事態が多発しました。
しかし女性たちの夫が戻ってくると
再び権力を振るうようになります。
そこで女性たちは村の助産師であり、
村唯一の医師であった
ファゼカシュ・ジュラニ・オラ・ジュジャンナに
相談します。
そしてファゼカシュは家族問題に悩む女性たちに
砒素を与え、夫を毒殺させました。
ファゼカシュはハエ取り紙を煮詰めることで
砒素を抽出できることを知っていたのです。
当初は夫を殺害するだけでしたが殺害の対象は姑、
隣人、家族とどんどん広がり、ナジレヴだけでなく
近郊の村々でも毒殺事件が起きるようになります。
やがて女性たちは
「ティサウグの毒殺者(ナジレヴのエンジェルメーカー)」
という暗殺組織を作りました。
この組織は1929年、サボー夫人の毒殺が
告発されたことで38名が逮捕されて終焉を迎えますが、
首謀者であるファゼカシュは逮捕される前に
自ら毒を呷っています。
1位:人民寺院(918人)
人民寺院は、正式名称を
「Peoples Temple of the Disciples of Christ
(キリストの弟子たる人民の寺院)」という、
1955年に創設されたキリスト教系のカルト宗教団体です。
創始者はジム・ジョーンズという元神父で、
アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリスで
創立しています。
ジョーンズはキリスト教徒であると共に
社会主義に傾倒しており、両者を折衷させた
宗教団体として人民寺院を組織しました
(設立当初は
「コミュニティ・ユナティ・チャーチ」という名称)。
教義としては人種などの差別を行わない平等主義や
家族などの単位での生活を奨励する集団主義、
更には無神論までもを取り込んだもので、
宗教団体というよりは社会主義集団としての
側面が色濃いものでした。
教団内は社会主義モデルを取り入れたことで、
ジョーンズを頂点とした複雑な権力構造をしており、
信者は知らず知らずのうちにマインドコントロールを
されていました。
1974年には人民寺院は社会主義の楽園として
「ピープルズ・テンプル・アグリカルチュラル・
プロジェクト」、通称「ジョーンズタウン」を
南アメリカのガイアナに建設します。
しかし次第に教団は告発などで追い詰められ、
ジョーンズは1978年11月18日、900名以上の信者に
『革命的自殺』としてシアン化物による集団自殺を
指示しました。
この集団自殺での死者は918名に及び、
そのうち276名が子どもや乳幼児だったと言われています。
918名という死者数は2001年の同時多発テロが起きるまで、
アメリカの故殺の中で最大のものでした。
まとめ
今回は毒殺事件を被害者数別にランキングで紹介しました。
毒物は刃物などよりも簡単に多くの人間を
手にかけることができるため、悪意や狂気などと
結びつくことで容易に連続殺人・大量殺人を
可能にしてしまいます。
特に男性よりも力の弱い女性や、薬物への知識に長け、
入手経路の確保も簡単な医療従事者などに
よるものが目立ちます。
現代ではこうした事件を教訓に毒物の入手や
製造が困難なようにはなっています。
しかしひとたび手に入ればこのようなケースで
理不尽に命を落とす可能性があることには
気をつけたほうがいいかもしれません。
C 古来より毒を用いて自殺や殺人事件が
ありましたが、暗殺やテロなど、
より物騒な殺害方法に用いられることもあり、
大変恐ろしいことです。
推理小説の中でも毒は殺害方法として
用いられましたが、ポアロやミス・マープルを
生み出した女流作家アガサ・クリスティは
もともと薬剤師としての知識を生かして
小説の中に殺害方法やトリックとして
描かれています。
因みにブスという差別的な言葉がありますが、
実は漢字に訳すと『毒』、即ち毒をブスと
読むのです。