ボランティアにさえ、肩書きが欲しい
「世界一孤独な日本のおじさん」
岡本 純子
文春オンライン - 2018年8月24日
町を見渡してみよう。
昼下がりのカフェやレストラン、劇場やデパート、
おしゃべりに興じるおばちゃんたちの集団を
見かけることはあっても、オジサンたちの
楽しそうな集まりを見かけることはあまりない。
「男とは群れないもの」「人間は孤独に耐え、強く生きていくもの」。
こう考える人も多いが、本当なのだろうか。
筆者は夏休み、福岡を訪れた。
涼みがてら入った博多の街中の観光施設で、
博多の有名なお祭り「祇園山笠」のビデオを上映していた。
そこに映るのはおびただしい数の血気盛んな
ふんどし姿の男性たち。
オジサンの「群れ」を久しぶりに見た。
翌日は金印で有名な志賀島までちょっと足を延ばしてみた。
神社に足を踏み入れると、気さくな神主のオジサンたちが
話しかけてくる。
「あっち側に行ってごらん。眺めがいいよ」。
玄界灘を一望できる見事な景色だった。海岸沿いを歩いていくと、
中高年の男性たちが20人ほどで、魚の水揚げ作業をしていた。
手際よく、大小様々な魚を発泡スチロールの箱に仕分けしていく。
観察していると、人懐っこいおじいちゃんが
「これはぶりの子だよ」などと、丁寧に魚の種類を説明してくれた。
 
たぶん、こうした風景は数十年前の日本には
どこにでもあったのではないだろうか。
祭り、商店街、近所、町の寄り合い、
町内会、集会所、縁側、寺、神社……。
そんな「居場所」や「セーフティーネット」が無数にあって、
口数の少ないオジサンたちでも日々、軽口を交わし、
何かあったら頼れる仲間や友人や家族、知り合いが周りにいた。
大した話はしなくても、将棋を指す相手や毎日、
挨拶を交わす人ぐらいいただろう。
  一人暮らしの高齢男性は3割が「日頃、頼れる人がいない」
国立社会保障・人口問題研究所が8月10日に発表した
「生活と支え合いに関する調査」の
最新版の結果によると、一人暮らしの高齢者の
男性の30.3%(女性は9.1%)が
「日頃のちょっとした手助けで頼れる人がいない」、
15%(女性が5.2%)が
「ふだんの会話頻度が2週間に1回以下」と回答した。
現実問題として、男性の切実な「孤独」は今、そこにある。
都市化、近代化、過疎化による地縁、血縁の希薄化により、
海外では一様に「孤独」は大きな問題となっており、
「現代の伝染病」ととらえられ、
国を挙げての対策が進められている。
一方で、日本では、無数にある孤独礼賛本が飛ぶように売れ、
「人は一人で生きるもの」と「孤独」を肯定的にとらえて、
やり過ごそうとしている。
「孤独にならない自衛策」を模索するしかない
日本の男性だけが、特に孤独耐性が高いとか、
昔から男性は孤独だった、などといった事実はない。
もちろん、短期間、一人の時間を楽しんだり、
一時的な孤独を乗り越えなければいけない場面は
誰にでもあるだろう。
問題は、日本の現代の社会環境の変化によって、
長期間、人に会わない、頼る人がいない、
という真の孤独に苦しむ人が増加していることだ。
孤独は健康、寿命、幸福感、社会全体の寛容性に
極めて重大な負の影響をもたらす。
孤独を美化し、これだけ多くの人たちを「置いてきぼり」にして、
何の対策もとらない社会であっていいわけがない。
海外では国を挙げての取り組みが進んでおり、
イギリスでは「孤独担当大臣」まで誕生し、
24時間、365日の電話ヘルプライン、老若男女の交流機会の
創出など、多額の予算をかけて、社会が一体となった対策が進む。
日本でも機運の盛り上げも必要だが、
それにはまだ時間がかかるだろう。
NGOやボランティア、コミュニティーなどの、
地縁・血縁に代わる受け皿が
海外の国々に比べ、限りなく貧弱なこの国では、
今のところ、個人として、
「孤独にならない自衛策」を模索していくしかない。
 
            「3Kから3S」へのライフシフトを
 
そこで、人生百年時代をオジサンが長く、豊かに生きる心得として、
「3Kから3S」へのライフシフトをお勧めしたい。
3Kとは「会社」「肩書」「家庭」、
3Sとは「仕事」「趣味」「社会貢献」のことだ。
「会社」や「肩書」にしがみつく生き方についての
問題点については前回の記事で詳述した。
「家庭」はもちろん、大切にすべき存在だが、妻や子供には
自分たちの付き合いがあり、気が付くと、自分は邪魔者扱い、
ということも少なくない。
「家庭」だけが居場所、というのは実はリスクが高い。
まず「仕事」というのは、結局、男性の生きがいは働くことによって
得られるものがやはり大きい訳で、であれば、働き続ける方策を
探り続けるしかないということだ。
そのためには、「会社」という枠にとらわれず、
自分なりの強みや技を生かして「職」を続ける
算段をつけておく必要があるだろう。
退職後、「どんな仕事ができますか?」と問われて、
「部長ならできます」と答えた人がいるというジョークがあるが、
地位や肩書ではなく、専門性やスキルセットをアピールできる様に
なっていなければならないということだ。
いつでも、学びなおしはできるし、
何事も始めるのに遅すぎることはない。
最近はシニア対象の人材派遣会社なども増えている。
自らの腕を鍛えて、「一生現役」を貫く人生設計を
しておくのも悪くない。
2番目の「趣味」。
これが案外、難しい。
女性は習い事が好きな人が多い。 
ある調査 によると、習い事をしている割合は
女性の38%に対し、男性は20%に過ぎなかった。
高齢者の取材に行くと、
やはり女性は多趣味で、何かと忙しそうだ。
そういう人たちに夫は何をしているのかと聞くと、
たいていは「家にいる」「図書館に行っている」と答える。
地方の自治体も、高齢者向けのサークルや趣味の場を
いろいろと提供しているのだが、参加者の多くは女性で、
自治体の人たちはどうしたら男性を誘い出せるのか、苦心している。
身の回りの男性に聞いても「趣味がない」とぼやく人は多い。
しかし、そもそも、自分から積極的に探してはいない、
という人も多いようだ。
「働き方改革」で労働時間が短くなったという人は
それをきっかけに、何か新しい趣味を始めてみてはどうだろうか。
趣味が高ずれば、様々なつながりが広がる。
最近はマツコデラックスさんの番組に出るような
一風変わった趣味やこだわりを持つ人が「面白い」と
注目を集めるなど、思いっきり個性的でニッチな趣味が
ウケる時代でもある。
オタク的な趣味も大いに結構。
スポーツ、園芸、モノづくり、芸術、料理…。
役所の広報や掲示板などには、
多くの集いの情報が掲載されており、
男性向けの趣向のものも増えている。
初めの一歩は、早ければ早い方がいい。
尾畠春夫さんの活躍で注目を集めた「社会に貢献するオジサン」
最後のSとなる「社会貢献」。
山口県周防大島町で行方不明になっていた
2歳男児を発見した御年78歳のスーパーボランティア、
尾畠春夫さんの活躍で、すっかり、注目を集めるようになった
「社会に貢献するオジサン」。
日本人のボランティア意識は海外の国に比べて極めて低いが、
特に男性の関心は薄く、自治体などが主導する福祉の現場でも、
ボランティアとして参加する人は女性の方が圧倒的に多い。
イギリスでは、高齢者向けの孤独対策が
一気呵成に進められているが、その担い手の多くは、
老若男女のボランティアだ。
自宅を開放して、孤独な高齢者をティーパーティーに招く人、
自宅からピックアップして、車に乗せてそこまで連れていく人、
高齢者からのホットラインの電話を受ける人、
近隣の孤独な男性たちを集めて、一緒にDIYを楽しむ
「男の小屋」を運営する人など、初老の男性もボランティアとして、
支える側に回る。
「孤独」という問題を核に、市民が支えあい、
寄り添いあう仕組みが整備されつつある。
ボランティアに名誉や肩書、見返りを求める人も
日本人男性は「ボランティア」という言葉が嫌いという説がある。
福祉的な色合いの取り組みに対するアレルギーが強い、
と福祉関係者はため息をつく。
だから、ボランティアという言葉を使わず、
「○○コーディネーター」「××リーダー」などといった
名称になると参加率が上がるのだそうだ。
ここでもどうやら「肩書」にこだわる癖は抜けないらしい。
ボランティアに名誉や肩書、見返りを求めない
尾畠さんの生き方が称賛を集めるのはこうした
潔さに対する憧憬があるのだろう。
介護の現場で高齢者を長年見てきた専門家が
「寝たきりや認知症になるかならないかの境目は、
誰かの役に立っているという意識があるかどうか」と
言っていたが、多くの人にとって、
自分が必要とされている「役割」がある、
という感覚は生きる支えになるはずだ。
「孤独上等」と、座して待つ生き方など、
ちっともかっこいいものではない。
誰にも迷惑をかけないのだから、とウソぶいて、
最後には糞尿を垂れ流し、他人に面倒を
見てもらうことになるかもしれないのだ。
「誰も棺桶に一人で入っていく人はいない」
(都内の福祉関係者)のである。
人間など所詮、迷惑はかけ、かけられる存在だ。
いつか、支えられる立場になるのだから、
今から誰かを支えておこう。
そうやって寄り添いあう社会になれば、もっともっと、
日本人は未来を楽観的に考えられるように
なるのではないだろうか。
 
C 名刺には「大道芸人バスカータンプ」と記載され、
肩書的には他にも、占い鑑定士、造形作家、
廃校再生プロジェクト研究会・会員なんて記載されています。
「こんなこと、やってます」的な肩書ですが、多くの人にとって、
自分が必要とされている「役割」だと自任しております。