Firenze

 

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2012年 

 

ヴェネツィアで発熱、喉の痛みが発症した私でしたが、フィレンツェまでは電車で移動しました。

 

フィレンツェのホテルに昼過ぎに入ると昼食も夕食も食べずにベッドに横たわっているだけ。苦しい〜。喉も痛い〜。

 

「半日寝て休めばどうにかなるかな?」なんて見通しは甘かった。経験値からしてこのままでは治らないとわかる。下手したら、予定通り日本に帰れないかも...。

 

翌朝4時、私はAMEXの医療サポートサービスを使う事を決意した。

いざという時の為に、そこの使い方はメモってきていたのだ。

 

まさか、役に立つとはね。電話して日本人と日本語でやり取り。(とても親切でした。会費払ってるだけの甲斐はありました。)

 

フィレンツェの街中の診察してくれるお医者さんに予約を入れてもらえた。

 

予約時間は9時半くらいだったかな。

 

ホテルからは徒歩5分くらいだったので、何とか行けた。まだ、開いていなかったので、お医者さんのオフィスの前で待つ。

 

 

どうにもなんない感じ。レディなんですけど、髪の毛の寝ぐせも何も、もうどうでもいい。

 

先生が到着、部屋に入れてくれた。極めて落ち着いた雰囲気で問診。喉を診て。

抗生物質と喉の炎症をとめるスプレー薬を処方してくれた。解熱剤はくれないって。対症療法のための薬は不要ということでした。そうだね、薬の多用は嫌だしね。妙に理屈が通っていて納得しました。

 

薬を薬局で買って。即服用。

 

ホテルに戻らず、そのまま出掛けてみることにした。

 

ウフィツィ美術館の予約してあったから。もったえないものー。

アカデミア美術館の予約は既に無駄にしていた。

 

館内をウロウロしている間に、治っちゃった。喉、痛くない。熱下がった。

 

気分が良くなって、夫にフィレンツェの思い出の場所をおしえて歩いた。少しだけホームステイした時の思い出の場所。

 

 

2004年にホームステイした時には現地で携帯電話を使ってなくて、テレホンカードを買って公衆電話で家(夫)に電話してました。学校帰りに。(学校といっても、その時で、既にほぼ40歳だったのですけど。ということは、この写真撮影時47歳か。これもまた〜、ひと昔前だな。)

 

フィレンツェ に詳しい人はどこかわかるよね。

 

8年も経っているのに二つの公衆電話は残っていました。

 

学校の前も通りました。

 

中にも入ってみました。教室、全然変わっていなかった。

 

 

朝には、かなり重症だったとは思えない回復ぶり...を見せる私の表情。激変する私の体調、気分に振り回された夫の我慢強さはすごい。

 

「彼女と彼」じゃないからね。「妻と夫」だからね。グラサン

 

あとは、アイスクリームだね。そっか、ジェラートって言わなきゃね。

 

 

その後、数日、フィレンツェ の観光もできた。私は初めてでなくても、夫が初なので、フィレンツェを見せないで、帰るわけにはいかない。良かった。良かった。

 

 

でも、私が嬉しかった事といえば、イタリア語がちゃんと通じたこと。お医者さんにも。

 

ふ、ふ、ふ。

 

あんなに辛かったのにね。

 

また、何かに味をしめた私。

 

ホテルをチェックアウトする時の顔に出てる。8年経って気づいた。

 

今の私を作った私。

 

でも、今は本物の危機が来てる。締めてかかろう。

 

今の私を振り返れるように。