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ある講義で読んだ作品の一部。Vittorio Alfieri (1749~1803)の "La Congiura de' Pazzi "という作品です。メディチ家のジュリアーノが殺された経緯を題材にしています。

 

ATTO PRIMO

 

SCENA PRIMA

 

Guglielmo, Raimondo.

 

Gugl.

Sprone ad eccelso oprar, non fren mi avresti,

 

in altra terra, o figlio. Or, quanto costi
al mio non basso cor premer lo sdegno,
e colorirlo d’amistá mendace,
tu per te stesso il pensa. È ver, ch’io scorsi
d’impaziente libertade i semi
fin dall’infanzia in te: talor, nol niego,
io men compiacqui; ma piú spesso assai
piansi fra me, nel poi vederti un’alma
libera ed alta troppo. Indi mi parve,
che a rattemprare il tuo bollor, non poco
atta sarebbe la somma dolcezza
di Bianca: al fin padre tu fosti; e il sei,
come il son io pur troppo... Ah! cosí stato
nol fossi io mai! visto per lei mi avrebbe
la mia patria morire, o in un con essa.

Raim.

E, dove l’esser padre esser fa servo,
farmi padre tu osavi?

 

音読して、訳して、発表するのです。勿論、訳を考えるのは宿題。どこにも翻訳されたものはありません。見つけられる力もなかっただけかな...。その当時は、「無い。」と強く思ってました。

 

どうしても勉強したくて、51歳で入学したものの、プリントを見た瞬間、真っ青でした。

 

 

苦しかった...。ああ、「無知の知」で恥ずかしかった日々。

 

時って凄い。でも今は良い思い出。だって、こうしてまた、見てみる気になったのだもの。

 

この作品を。しかも自分の割り当てられた所をしかと覚えてる。この講義の1回目の時だったと思う。

 

家では、お風呂に入っても考えてた。

謎解きのように。「どう解読するのだ〜?」と。

風呂でブツブツとこの台詞をつぶやいてみていた。閃いた瞬間にお風呂から上がり、机に向かって忘れないうちに解読した内容を書き記した。

 

授業中は自分の番が回って来る前から、汗は出るわ、心臓はドキドキするわ。

本文を音読するときも、

 

「だからー、そこで、切っちゃ、音の加減からして具合が宜しくないんだって。」

って師の宣う。

 

人間の脳って不思議。

 

どのくらいの容量をどうやって記憶しているのだ。画像だったり、音だったり。

 

逆に空想したり。画像で音で。

 

コロナの情報に攻め込まれている脳。

でも、空想させて好きなところに行こう。自転車 船 飛行機

好きな音を聞こう。ルンルン 波 セキセイインコ青 雨

 

ほぼ、忘備録のような内容。でも、私にとっては大事な出来事。

 

今の私を作った私。