津軽河岸跡
櫓舟(ろぶね)遊覧舟乗り場は(あやめ祭り期間外)に成ると閉鎖され、津軽河岸跡乗り場に変わります。


 

其の津軽河岸跡乗り場の真ん前に有るのが磯山邸です。

 

磯山邸(見学無料)
磯山邸は古き良き時代の潮来の佇まいを残した、日本家屋古民家です。

持ち主が東京へ移住し、管理が難しくなっため、2008年潮来市へ寄贈された。


 

寄贈後は震災復興などが優先され、手つかずのままでしたが、2016年7月に市役所職員が梁のすす払いや障子の張り替え、庭の草刈りなど大掃除、畳のリサイクルなどを行い、8月の潮来祇園祭礼に合わせ、休憩所として開放した。


 

歴史と趣を感じさせる日本家屋で市職員が祭り参加者らに冷やしタオルや冷たいお茶などのサービスを行い、好評を得ました。


潮来市は潮来市水郷旧家磯山邸及び潮来市津軽河岸あと広場プロポーザル選定委員会設置要項に関する条例を平成17年に制定。



 

旧家磯山邸を宿泊施設として利用できるようになりました。

 


 

1日1組限定(55,000円税込)。
1棟貸しで最大10名様まで宿泊出来る(テレビ・時計又お子様用浴衣は無し。


 

冷蔵庫や調理器具が揃ったコンドミニアム式のキッチンがあります)。

 

津軽河岸跡
かつて潮来が水運で栄えた歴史を感じられるスポットです。敷地内には大谷石造りの石の蔵や船着き場が整備されています。

 

↑ 津軽藩跡の碑と石の蔵 ↓

 

石の蔵にはカフェスペースがあり、コーヒーやスイーツも。
また、船着き場からは年間を通して「ろ舟遊覧」が楽しめます。

 



 

三方を水に囲まれた潮来地方は、古くから水運の要所であった。

特に江戸幕府が成立すると、東北諸藩の年貢米や諸物資が内川廻り潮来経由で江戸に回漕されるようになった。

当時、大量の物資を輸送するのに、水上輸送が陸上輸送よりも便利で、運賃も安かったからである。

 

内川廻りで潮来を経て江戸に入る舟運には、二つのコースがあった。

 

↑ 石の蔵と櫓舟(ろぶね)遊覧チケット売れり場 ↓


その一つは、奥州方面から太平洋を南下した廻船が、那珂湊から涸沼に入り、海老沢海岸(茨城町)に荷揚げする。

そこから馬に積み替えて陸路を紅葉(鉾田町)や下吉影(小川町)まで運び、小舟で巴川を塔ヶ崎や串挽河岸(鉾田町)におろし、ここで高瀬舟に積み替えて北浦から潮来に出る。

潮来からは現在の常陸利根川から横利根川を通って佐原に出て、利根川を溯り、そして関宿(千葉県東葛飾郡関宿町)から江戸川の舟運を利用したのである。

 

このように手数のかかる積み替えや、距離の延びる迂回路を辿るコースが利用された理由は、当時、鹿島灘沖の航行が危険であり、また、房総沖を回って江戸湾に乗り入れることが技術的に困難であったからといわれている。



潮来を通る他の一つのコースは、奥州から南下した廻船が那珂湊を経て鹿島灘を乗り切り、銚子の河口から直接利根川を溯上して江戸川に入る方法であった。

これはのちに銚子で海船から川船に積み替えるように変わっている。


 

この二つのコースのうち、那珂湊から涸沼を経由して潮来に出るコースが先に開かれ、その後、銚子河口から入船するコースが一般化したとされてきたが、近年、両コースとも近世初期から利用されてきたとする説が有力になってきた。

しかし、いずれのコースを辿っても寛文期(1661~72年)から元禄期(1688~1703年)には、東北諸藩から潮来を経由して江戸に廻送される物資が多かった。

そのため、潮来の前川筋には仙台藩・津軽藩などの蔵屋敷や遊郭なども設けられ、潮来は港町として、また、行楽地として繁栄した。

河岸跡・屋敷跡には現在史跡碑が建てられている。



櫓舟(ろぶね)遊覧チケット売れり場
開催日    
月曜日定休(月曜日が祝日の際は火曜日)
※あやめまつり期間中は毎日運航
※雨天・荒天の際は中止

乗船場所
津軽河岸あと広場(あやめまつり期間中は水郷潮来あやめ園発着)

 

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