クフ王の大ピラミッド
世界七不思議の1つとして知られるクフ王の大ピラミッド。
古代エジプトの建築技術の最高峰を象徴する、その圧倒的なスケールと緻密な設計は、数千年にわたり人々の心を捉え驚嘆させ続けてきました。
しかし、その建造方法や内部構造には未解明の謎が多く残されており、先端技術を駆使した研究が日々行われています。

アケト・クフ
クフ王は古王国時代第4王朝を統治した王で、「クヌム・クフ(クヌム神に守護されたもの)」という、大地の神クヌムを冠した正式名を持っています。
彼の治世についての具体的な記録は乏しいですが、大ピラミッドの建造を成し遂げたことから、エジプトの富と技術力を強力に支配した王であると推測されています。

古代エジプトにおいて「アケト・クフ(クフの地平)」と呼ばれた大ピラミッドは、クフ王が眠る墓として約27年もの歳月をかけて建造されました。
約2.5tの石材が200万個以上積み上がった大ピラミッドは、138.5mの高さを誇っており、約4500年の時を超えた現在でも圧倒的な存在感を放っています。

また、特筆すべきは底部に部分的に残る石灰岩の化粧石で、建造当時には大ピラミッド全体が化粧石で覆われていたと言われています。
砂や石が広がる景色の中、太陽の光を反射して白く輝くその姿は、神秘的な美しさを醸し出していたに違いありません。

大ピラミッドの入り口
大ピラミッドには入り口とされるものが2つあり、観光客の見学には地上7mの高さにある盗掘用の穴が使用されています。
しかし、本来の入り口はより高い位置にあるもので、ほとんど塞がっていますが一部切妻構造が見えています。
この切妻構造がクフ王のピラミッドの大きな特徴で、それまでピラミッドの重量を拡散するためには持ち送り式という方法が用いられていましたが、クフ王が初めて切妻構造を導入しました。

その後の第4王朝や第5王朝のピラミッドは切妻構造を用いて建造されており、クフ王のピラミッドは、古代エジプトの建築技術に大きな変革をもたらしたと言えるでしょう。
大スフィンクス
巨大なスフィンクスの石像である。古代エジプトの古王国時代に作られ、カイロ郊外、ギザのギザ台地の、三大ピラミッドのそばにある。

一般には単に「スフィンクス」と呼ばれることも多い。現代アラビア語ではAbu al-Haul「畏怖の父」の意味。

彫像として
全長73.5m、全高20m、全幅19m。一枚岩からの彫り出しとしては世界最大の像である。

石灰岩の丘を彫り下げたもので、四角い窪地の中に位置している。窪地を作る際に切り出された石灰岩は大スフィンクスの傍の神殿を建造する石材に使われている。

建造当時はエジプトの青銅器時代より前であり、純銅の鑿と石のハンマーを用いて、長い時間をかけて彫り出されたと考えられている。

太古にはギザ台地は海の底であり、石灰質の生物の死骸が長い時間をかけて堆積し、その後隆起し、石灰岩の台地が形成された。そのためギザ台地の石灰岩は硬い層と柔らかい層が交互に積み重なっている。

胴体の凸凹は硬い層より柔らかい層が風化により差別侵食された結果である。それに加え、ギザ台地はその由来から塩分を多く含み、毛細管現象により表面に析出した塩分が膨張することで表面が脆くなって剥離し、大スフィンクスは建造以来常に、そして現在も、崩壊し続けている。
そのためその歴史において度々修復されており、そのおかげでかろうじて現存しているともいえる。

起源
定説では、紀元前2500年ごろ、第四王朝カフラーの命により、第2ピラミッドと共に作られた。その根拠としては、
スフィンクスの前足の間から発掘された碑文の最後に「Khaf」の文字があった。
スフィンクスの顔がカフラーに似ている。

カフラー王のピラミッドの葬祭殿からスフィンクスまで参道が延びるなど、ギザ台地の遺構は一体として設計されている。
スフィンクスの周囲からは、第四王朝時代の遺物が発掘される。
碑文の文字にはカルトゥーシュがないので王の名かどうかは疑問で、文脈もはっきりしない。
現存するカフラー像とスフィンクスはあまり顔が似ていない。そもそも、カフラーがどんな顔だったか自体はっきりしない。
という反論がある。 また、体に比べて顔の大きさのバランスが悪いとして、顔だけは後になって彫りなおされたものだという主張もある。






