スフィンクス
メンフィスにはアラバスター製のスフィンクスがある。
alabaster(アラバスター) とは、美しい白色の鉱物の変種のひとつ。


 

その特徴的な美しい白さゆえに、アラバスターは白いものの形容として、例えば英語では"alabaster skin"(白く滑らかな肌)といった表現で詩や歌などで使われている。

 

このスフィンクスはどうやら新王国の頃に作られたようで、ギザの方が古いのである。


 

ただ20世紀初頭にこの像が見つけられたのだが、ギザのものに比べて顔の状態はとても良い。スフィンクスの中では二番目に大きいとされている。

 

ギザのものに比べると可愛らしくちっちゃく見える子供のスフィンクスである。

 

アラバスターとよばれる石には2種類あり、それぞれ石膏と方解石という2つの異なった鉱物の変種である。現代ではアラバスターは石膏のもの(雪花石膏という)をさし、方解石のアラバスターは一般に古代のものをさす。




両者の違いは硬さによって簡単に判別できる。石膏のものはモース硬度が1.5から2であり、爪で傷つけることができる(爪の硬度は2.5)。


 

一方、方解石のものは硬度が3で爪で傷つけることができない。さらには、方解石のアラバスターは炭酸カルシウムなので塩酸にとけるが、石膏のものは反応しないことでも判別できる。
 

 

ラムセス二世
その治世において、エジプトはリビュア・ヌビア・パレスチナに勢力を伸張した。紀元前1286年頃、総勢約2万の兵を率いてメソポタミアへの親征を開始し、カデシュの戦いを行った。その他にも多数の遠征をし強権的な外交戦略を展開した。


 

ラムセスという誕生名は、「ラーは彼に生を与えた者」という意味の「ra-mes-sw」のギリシア語読みである。なお、ラムセス3世以降の同名を称する第20王朝のファラオとの血縁関係は無いとされる。即位名はウセルマアトラー・セテプエンラー。


 

↑ 左足を前に出しているのは、生前に造られたもの、足を揃えているのは死後に造られたもの、なのだそう ↓

 

これは「ラーのマアト(正義、真理、宇宙の秩序などの意)は力強い。(彼は)ラーに選ばれし者」を意味し、これをギリシャ語化した「オジマンディアス(コイネー:Οσυμανδύας、Osymandýas)」の名でも知られる。

年代には諸説あるが、24歳で即位し、66年間統治し、90歳で没したとされる。


 

その間、王妃ネフェルタリのほか、何人もの王妃や側室との間に、賢者として名高いカエムワセト、後継者となるメルエンプタハなど111人の息子と69人の娘を設け、娘の中には父親であるラムセス2世と親子婚を行った者もいる。


 

もっとも、この大半は養子であり、王の息子の称号を与えられただけだという説もある。しかし、非常に大柄(約180cm)で、在位期間も他のファラオ達よりも長く、妃の数も多かったことが伝わっているラムセス2世が多くの子を残さなかったとは考えにくく、彼らは王の実子であると考える説もある。


 

生涯
紀元前1303年頃、ファラオ・セティ1世の王子として生まれた。母は妃トゥヤである。ラムセス2世はセティ1世の長男ではなく、彼には名前不明の王太子の兄がいたとされる。


 

しかし、ある時点でその王太子の記録が全部消えて、壁画も弟の姿に変えられた。その後、ラムセス2世は王太子になった
 

 

成長後のラムセス2世は少なくとも3年間ほどの父親のセティ1世との共同統治を行った。当初は父王セティ1世が外征・外交を、ラムセス2世は内政を司る形態が採られていたようであるとされている。

 

 

その後、紀元前1304年、ラムセス2世は父の死後、25歳(一説には24歳とも言われているが、明確には判明していない)の時にファラオに即位したとされている。

ラムセス2世が属するエジプト第19王朝は前代のエジプト第18王朝から王位を譲られてからラムセス2世でまだ3代目であったが、ここからエジプトは再び強国へと返り咲くことになる。

 

 

聖なる牛のアピスの解剖台

この解剖台は下の写真の丸い方が聖牛アピスの解剖台である。象形文字で何やら書かれているがちょっとよくわからない。結構古い物なのに自由に触ったりできる。

 

 

場合によっては乗っかっても誰も注意しない感じで置き去りにされている。もちろんこの遺跡の公園のような遺跡には入るのにはお金かかるのであるが、のんびりしており、ラムセス2世の巨像とセットで楽しむことができた。