屈折ピラミッド
エジプトのダハシュールにある古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオでクフ王の父でもあるスネフェル王のピラミッドである。



 

三大ピラミッドなどと共にメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。


 

高さ105m、底辺189mであるが、特徴的なのは屈折ピラミッドの名のとおり途中で傾斜角度が変わっていて、下部は54度27分、上部は43度22分となっている。

 

下側は崩れるのを防ぐために石は内側に向けて斜めに積まれている。



上側は平積みにしている。この理由については、同時期に同じ工法で建築されていた「崩れピラミッド」が完成直後に崩壊し、下側で使用した工法でこのまま建設を続けると、同じように崩壊する可能性が指摘され、途中から工法を変更したとされる。


また実際に、崩壊の兆候が発見されたので工法が変更されたとする出典もある。


 

エジプトの他のピラミッドは表面を滑らかに装飾する化粧石(化粧板)のほとんどが持ち去られ、失われている場合が多いが、屈折ピラミッドの場合は現在もかなり多くの化粧石が表面に残っている。


 

内部公開
一般観光客は、1965年を最後にピラミッド内部へ入ることができなくなっていたが、2019年、2つの埋葬室につながる長さ79mの通路を修復するプロジェクトが完了。再び一般観光客への公開が再開された。




ピラミッドの建造
旧来、ピラミッドの建設は多数の奴隷を用いた強制労働によるという説が主流であったが、奴隷を徴用した証拠がないという点から一部の研究者には疑問を抱かれていた。


 

近年のピラミッド労働者の村の発掘で、労働者たちが妻や子供といった家族と共に暮らしていた証拠や、怪我に対して外科治療が行われていた痕跡が墓地の死体から見つかり、現在では奴隷労働説は否定されつつある。


 

また、2010年にはクフ王のピラミッドのそばに建設に携わった労働者の墓が発見されたことも、奴隷労働説を否定する傍証のひとつとなっている。


 

そもそも古代エジプト社会は古代ローマや古代アテナイの社会と異なり、農業や手工業といった通常の生産労働も奴隷労働に依存せず自由身分の農民によって成されており、人口の少数しか占めない奴隷は家内奴隷が主体だったと判明している。


 

吉村作治は、ピラミッド建造は定期的に発生したナイル川の氾濫によって農業が出来ない国民に対して、雇用確保のために進められた公共工事的な国家事業であったと主張している。


 

ピラミッドが国家事業として作られたという説は吉村のオリジナルではなく、クルト・メンデルスゾーンによって既出である(邦訳:ピラミッドの謎/文化放送開発センター出版部)。

 

ただしメンデルスゾーンは、ピラミッドを作る目的が公共工事だったとは言っておらず、事業形態が国家事業であり、建設の目的自体は主に墓であっただろうと述べている。


 

ピラミッド建設に必要な石材は主にナイル上流のアスワン付近で産出し、石切場で切り出された後、粗加工した状態で搬送されたと考えられている。


 

それらの石は一定の規格寸法があったわけではなく、現場で必要な寸法に合わせて専門の職人が鑿で整形していた。

 

また初期のピラミッドと後期のピラミッドでは、石のサイズや積み方が異なる。


 

従来、石材を積み上げるにあたっては、日乾し煉瓦と土などで作業用の傾斜路が作られ、その斜面を運び上げられたと考えられてきた。

 

傾斜路の形状には、ピラミッドを取り巻くように築かれて4辺で直角に転回していたという説と、長大な直線傾斜路が使われたという説がある。


前者の説では、傾斜路がピラミッドの姿の殆どを隠してしまうために、建築中の測量が出来ず、歪んだ形にピラミッドが仕上がってしまう懸念の指摘があり、後者ではピラミッド本体と同じくらいの石材が傾斜路を作るために必要とされるという非効率性の問題や傾斜の角度と石材の運搬の困難さなどがある。


 

ただし後者の方法だと、各ピラミッドの傾斜路がナイル川から石材を降ろして運び上げるのに丁度良い位置に来るという研究もある。