物は試し
物事は実際に試してみなければ、その成否やよしあしは分かるものではない。
まず一度は試してみよという教訓。
↑ 一般参加者による角乗り ↓
毎年10月におこなわれる木場の角乗りの一般披露は、以前は東京都主催の「ふるさと東京まつり」の一環として、あるいは江東区の文化財保護強調月間・区民祭りの催しのひとつとして、豊住橋下の仙台堀公園の一角、新十間川親水公園でおこなわれていた。

↑ 姿形は一丁前 ↓
しかし、都立木場公園の整備された1992年、公園内に角乗り専用の池が設けられるようになり、多くの観客がそれを観覧できるようになった。

明治時代の角乗り
明治時代には興行という形をあまり取らず、橋の開通式とか軍艦の進水式などの場で、祝賀ムードを盛り上げるための余興として、木場の川並たちが各地に招かれ、角乗りを上演して見せることがさかんになされるようになった。

↑ あわや撃沈 ↓
たとえば神奈川県横須賀の海軍基地で軍艦の進水式に、明治天皇の天覧のもと、海上でその上演がなされたことがあったといい、横浜港の開港記念日の式典などでもそれがおこなわれたという。

↑ 残念無念 ↓
1879年(明治12年)に、アメリカ合衆国のグラント将軍が来朝した際には、上野の不忍池で角乗りが披露されたという。

両国橋や千住大橋の開通記念式典では、隅田川での上演がなされたが、隅田川汽船株式会社の肝煎りで、白髭橋の所でもやったことがあると、川並の長老たちは語っている。

↑ 区民祭りのスタップがチャレンジ ↓
要請があれば、川並たちはどこにでも角材を筏に組んで運んでいき、そこで角乗りを演じて見せたものだという。

なお、その頃、名古屋などでは角乗りではなく、丸太乗りという伝統芸も見られたというが、くわしいことはわかっていない。
ところで、明治時代の角乗りといえば先述の通り、木場の川並たちが水防組の組織に組み入れられ、水防組の年間行事のひとつとして、それがおこなわれるようになったことが特筆されよう。

風水害・震災・大火などの大災害の発生時には、川に流される被災者らを救出しなければならないし、流出する大量の瓦礫や材木を除去し、操作するための防災専門家たちの技が必要となる。
↑ めげずに再チャレンジ ↓
そこに木場の川並たちの活躍の場があったわけで、水上消防組としての防災組織、すなわち水防組が警察の指導下で川筋ごとに編成されていくこととなる。そして彼らの日頃の鍛錬の技が、水防出初式の場で披露されることとなった。

↑ 成功成らず タメ竿も折れる ↓
出初式は例年、台風シーズンに先立つ7月に挙行されるのが普通だった。明治時代の『風俗画報』には、1891年(明治24年)7月4日に実施された水防出初式の記録が、挿絵入りで残されている。







