地乗り
タメ竿(ざお)といわれる竹竿をもって素足で角材に乗り、竿でバランスを取りながら角材を回転させる。
それが終ると角材の七分三分のところで逆立ちをする。口上は「尾張名古屋は金の鯱(しゃち)」。
女性の登場
木場の角乗りをめぐる近年の新たな動きとして話題になっている、若い女性たちの登場のことを、少し触れておこう。
それは400年続くという男の世界に、まさに新風を吹き込む大きなできごとでもあった。
そのようにして1987年に、女性として初めて角乗りの世界に飛び込んだのは、江東区内在住の榎本奈苗さん・洋恵さん姉妹だ。
葛西囃子
大太鼓(オウドウ)1、小太鼓(ツケ/シラベ)2、篠笛(トンビ)1、鉦(カネ/ヨスケ)1、の5人一組で編成される。
雛祭りの唄ではないが、「五人囃子の笛太鼓」である。中でも鉦は他の4人の演奏を助けるもので一番難しいという。
当時、奈苗さんは小学校6年生、洋恵さんは同4年生だった。
姉妹の父親である榎本幸雄氏は木場の木材職人で、角乗り歴20年の大ベテランだったが、水上で自由自在に角材をあやつるこの父親の姿にあこがれ、「私たちもやってみたい」と彼女らは思ったという。

男の世界に若い女性が踏み込むことに対して父親は当初、反対したそうだが、姉妹の熱心さに根負けしたという。

木場角乗り保存会では例年、5月の連休明けから10月にかけての毎週日曜日に、都立木場公園内にある専用池で、角乗りの練習をおこなっているが、榎本姉妹もそれに加わるようになった。

水に浮かべた長い角材の上に乗り、6mもの長さのタメ竿を用いてバランスを取りながら、足で角材を回転させる技はなかなかむずかしい。
水中に落ちたり、滑って弁慶の泣き所を打っては泣きそうになったりしながらも、2人は練習に励んだ。
姉妹が言うのには、角乗りは一輪車に乗るのに似た感覚だとのことで、要するにバランス感覚が重要だということなのだろう。

練習のない冬場でも2人は、基礎体力をつけるために、極力自分の足で歩くことを心がけ、鍛錬を続けた。

それから6年後、姉は高校3年生、妹は同1年生になったが、全部で15種類あるという角乗りの技のうち、2人ができるようになったのはまだ、基本的な2種類のみだというから、誠にそれは奥の深い世界だ。

当時、保存会の会長だった先の小安四郎氏は2人を温かく見守り、育ててきたが、「400年の伝統の中で、初めて女性の乗手が育った意義は大きい。結婚して母親になっても角乗りを続けて欲しい」と言っておられる。

ここのところメンバーが減り続けていた保存会も、姉妹がくわわったことで活性化しつつあり、1993年には会員数が20名を超えるまでになった。

1990年には新たに加わった女子中学生3人トリオが、見事な演技を披露して話題になった。

1991年には小学4年生の石川まつりさんが入門、1992年からは最年少で小学校3年生の宇野真広君もデビューして、保存会の若返りも進んでいる[村上・成子・熊田,1993・読売新聞社(編),1991]。

運河と堀割が縦横に走り、丸太や角材に乗る仕事に従事する川並衆や職人衆が多く暮らす深川・木場周辺の子供たちは、もともと川遊びにもよく親しんでおり、泳ぎも上手だった。

↑ タメ竿で地乗りを披露中の相方がバランスを崩し落下 ↓
大人たちの目を盗んで筏にもよく乗っていたので、それを自在に操る女の子もいたという。
江東区の生活誌調査報告書に収められた古老からの聞き取り記録集などを見ると、「筏のうまい女の子」という一項があって、1907年ン(明治40年)に門前山本町で生まれ育った、高村ハナさんの戦前の思い出話が載っているので、ここに引用してみよう。

私たちは、ほら深川の子って乱暴だから、ハダシで棒持って、雪だるまこしらえたり、竹馬のはやる時分だから、みんな竹馬に乗って。(中略)周りはずーっと堀だったのよ。

私の子供のころ、面倒くさいから筏渡って行っちゃうの。
私、筏うまいんですよ。昔ね、筏に着物ぬいで、泳いだんだから。そしてお巡りさんに追いかけられた。

今の沢海橋、ずーっと筏がついてたの。「竹一」ってね、木場で一番の材木屋さん、そこにお稲荷さんがあった。
「竹一のお稲荷さん」で有名なんですよ。

震災のとき、あの堀で私が筏に乗って、竹一のお稲荷さんとこへ逃げたの。逃げてきたから助かったんですよ。九つのとき、私筏に乗れたから。
「兄ちゃん乗んな、私連れてってやるから」って乗って。着いたらお稲荷さんに火がついちゃって、もう逃げ場ないでしょう。土手だったから。子供心に、今考えてみると実際、よくできたと思いますね。

今度、その反対側に筏があったの。その筏へ渡って、そこの、今の木場四丁目かな、あそこらへ逃げてきたの。私が筏に乗るってば、灸すえられたりね、ぶたれたりね、よくしてたのよね。そんなときだけは親にほめられちゃった。
それほど深川の女の子は乱暴だったわね[江東区総務部広報課(編)1987b:pp.206-208]。

女の子たちは乱暴だったというよりも、元気で度胸があったということだろう。関東大震災の猛火の中から脱出し、9歳の女の子が逃げ遅れた人々を筏に乗せて助け、逃げ延びたというのだから、この地の女の子たちはまことにたくましかった。
こうした土地柄と風土というものがあったればこそ、角乗りをやりたいという若い女性たちが、今の世にもあらわれてきたとしても不思議ではなかったのだ。
出典・江戸東京歳時記をたずねて 2017年10月号 長沢利明より。



