旧小田原町図書館
小田原城址公園内にある市立図書館が2019年3月31日、図書館職員が見守る中、60年の歴史に幕を下ろし、二の丸観光案内所となった。



 

同館は小田原市矢作出身の事業家、星崎定五郎氏の寄付により1959年に完成、開館した。児童向けの施設も併設された図書館として市民から愛されており、児童文化行事も活発に行われてきた。


 

この二の丸観光案内所は、昭和の初期に建てられた近代建築であり、言うまでもなく、日ごとその文化財的な価値は高まってきています。

下見板張り、縦長の上げ下げ窓など、洋風の躯体を持ちながら、史跡の雰囲気を壊さぬよう、屋根は日本建築の意匠となっており、明治の初期の居留地等にあった、いわゆる擬洋風建築の部類に入るものと思います。


 

住吉橋
小田原城のうち、江戸時代に整備された二の丸と馬屋曲輪・御茶壺曲輪の間の住吉濠に架かる。



 

史料に初めて現れるのは1644年~1645年頃に記されたと考えられる小田原城絵図「正保図」で、当初は木橋であった。


 

その後1672年(寛文12年)に石垣のかさ上げが行われ、1703年(元禄16年、元禄地震)・1843年(天保14年)・1853年(嘉永6年、嘉永小田原地震)には地震に見舞われており、修理あるいは架け替えが行われたと考えられる。


 

↑ 住吉橋と住吉堀 ↓

 

宮内庁に保管されている、1703年の地震前に記された「小田原城絵図」には、「幅2間、長さ4間4尺5寸、4本の柱と笠木・平桁・地覆からなる欄干がある」旨が記されている。


 

1817年の文献によると「土橋ながら火が燃え移ったが、根府川の火消しが消し止めた」との記述があり、この頃には土橋に代わっていたと考えられる。


 

↑ 内冠木門 ↓



 

1901年から1923年にかけては御用邸として使われ、宮内庁の図面にも土橋の様子が記されているが、1923年の関東大震災で崩落した石垣とともに埋め立てられた。
 

 

↑ 内冠木門は馬出門の二つの門を配した構造にになっている ↓

 

 

↑ 内冠木門の正面と裏面 ↓

 

 

構造
1986年(昭和61年)の遺構調査により、長さ4m、幅5m(推定)の橋台と対岸の銅門の間の8mの橋であり、中央に幅員方向に松の丸太の橋脚3本が建てられていたことが明らかになった。


 

↑ ビャクシンの大木 ↓

 

土橋になっていた時期があったため、銅門側にどのように接続していたかの痕跡は判然としなかった。