小田原城学橋
小田原城二の丸の水堀にかかる学橋(まなびばし)。

 

実はこの「学び橋」、江戸時代には存在していなかった橋でした。

かつて城址公園内にあった小学校の通学路として設置された橋だそうです。



三の丸小学校は小田原藩が1822年(文政5)に小田原城三の丸に開設された藩校「集成館」が始まりです。



 

その後、明治の世になり学制が施行された明治5年から「日新館」「尋常高等小田原小学校」と名前をかえ、平成4年に「小田原市立本町小学校」と「小田原市立城内小学校」が合併して「小田原市立三の丸小学校」として開校しました。

平成24年には開校20周年を迎えました。


 

学び橋が繋ぐ小田原城二の丸は、小学校の統廃合により現在は広場となり、様々なイベントが開かれる小田原市民の憩いのスペースとなっています。


 

1992年(平成4年) 
小田原市立本町小学校と城内小学校とが統合され小田原市城内に開校。

1995年(平成7年)
 小田原市本町の現校地に現校舎完成。


 

1996年(平成7年)
 現校地に移転。現校舎が神奈川県建築コンクール優秀賞受賞。

1997年(平成9年)
三の丸小学校周辺地区が都市景観大賞受賞。


 

1999年(平成11年)
 現校舎が公立学校優良施設表彰文教施設協会賞受賞。



藩校(はんこう)
江戸時代に、諸藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校。藩黌(はんこう)、藩学(はんがく)、藩学校ともいう。


 

内容や規模は多様だが、藩士の子弟は皆強制的に入学させられた。後に藩士の子弟以外の領民にも開放された藩校もある。


 

広義では医学校・洋学校・皇学校(国学校)・郷学校・女学校など、藩が設立したあらゆる教育機関を含む。

藩校は、藩の費用負担により藩地に設立されたが、一部の例外として江戸藩邸に併設された学校もあった。



 

藩士に月謝の支払い義務はない上に、成績優秀者には藩から就学支援金を給し、江戸等に遊学させることがあった。

 

 

都知事選
現職・小池百合子氏が当選確実、3期目へ 東京都知事選挙 与党票の大半固め安定した戦い 石丸氏は無党派層の4割固めるも及ばず。

 

 

東京都選挙管理委員会によると、7日に投開票が行われた都知事選の投票率は60・62%だった。前回令和2年の55・00%に比べ5・64ポイント上回った。