3.建築技法の粋を集めた根津別邸
   大正14年(1925)、初代根津嘉一郎が内田信也から土地・建物を譲り受けて根津別邸としました。


 

初代根津嘉一郎は、東武鉄道の創業者ですが“青山”(せいざん)と号し、益田孝(鈍翁)、原富太郎(三溪)と並ぶ近代数寄者としても広く知られていて、その質の高い茶道具をはじめとする古美術のコレクションは東京青山の根津美術館に納められています。


 

昭和4年(1929)に根津嘉一郎が最初に建てたのが「金剛」で、さまざまな色の石で築いた暖炉があって、それを取り巻く柱や梁は、ダイヤ、ハート、スペード、クラブの模様の螺鈿で装飾され、床、壁、天井など至るところにまで配慮が行き届いています。


 

2槽の風呂を持つローマ風浴室はあでやかな装飾で、玄宗皇帝が楊貴妃のために造った華清池を思い起こさせるに十分な雰囲気を感じさせる浴室でした。


 

続いて昭和7年(1932)に造られた「玉姫・玉渓の棟」も贅を尽くし、技を集めたものです。


 

主室の「玉渓」には石を積み上げた暖炉があって、その上には中国の仏像彫刻が嵌め込まれ、脇には古社寺の柱とも、舟の帆柱ともいわれる丸柱が配されています。


 

太目の柱、筋交いにはチョウナによる名栗仕上げが施されています。「玉姫」では、洋風の暖炉と寄木の床、和風の折上げ格天井(ごうてんじょう)、さらに中国風の欄間と各様式が渾然一体となっています。


 

サンルームの床はモザイクタイル、ステンドグラス天井は、国会議事堂のステンドグラスを造るためにドイツで修業してきた職人の手になるものといわれています。


 

このように、使われている建築材料もさることながら、当時の建築技法の粋を集めたのが根津別邸ではないかと思われます。
  


 

4.戦後は、旅館「起雲閣」
  
 昭和22年(1947)、大正・昭和にかけて政財界で活躍した桜井兵五郎が、根津家から取得して宿泊用の和室などを増築し、旅館「起雲閣」として開業しました。