ムア広場
本館前の、相模灘を望む広場。ヘンリー・ムーアの「王と王妃」が設置されている。 



 

↑ エスカレーターの到着階を出ると「ムア広場」に出る ↓

 

ヘンリー・スペンサー・ムーア
(1898年7月30日〜1986年8月31日)20世紀のイギリスを代表する芸術家・彫刻家である。


 

炭鉱夫の息子としてヨークシャーのカッスルフォードで生まれ、大理石やブロンズを使った大きな抽象彫刻で知られる。


 

イギリスの美術界から大いに援助を受けてきたムーアは、イギリスにモダニズム美術を紹介するのに大きな役割を果たし、イギリス美術を国際的なものにすることに大きく貢献した。


 

大規模なモニュメントなどの注文をこなす能力により、ムーアはその生涯の後半に美術家としては並外れて豊かな富を手にした。


 

しかし、彼は質素な生活を死ぬまで送り、その富のほぼすべてが「ヘンリー・ムーア財団」の基金として寄付され、美術教育や普及の支援のために使われている。

 

ムーアの特徴的な作品は、穴が貫通している横たわる像(横たわる人体)である。


当初はオルメカ文明、トルテカ文明やマヤ文明などの石像、とりわけ1925年にパリで見た、チチェン・イッツアから出土したチャック・モールの石膏模型から大きな影響を受けた。

 

最初の「横たわる像」は体の横でひじを付いて曲げた腕が空洞をかたち作るものだった。


 

↑ ムア広場から初島の眺望 ↓

 

初島
伊豆半島東方沖の相模灘に位置しており、熱海市の本土から南東に約10キロメートルの海上にあるため、静岡県の最東端でもある。

2018年(平成30年)時点での人口は193人114世帯であった。
住民のほとんどは島の北部に位置する宮の前地区に居住している。

火山島が活動を終え、浸食されて海中に没し、その後に隆起してできた島と考えられている 。
最高地点が33.5 m(三角点)と平坦で、これは波によって削られた海底の平坦面が隆起したことによる。

島内には数段の隆起段丘があり。1923年の関東地震では1.8〜2 m隆起し、これが最新の隆起となる。
 

 

後の「横たわる像」では、凹凸のある表面のある量塊を探求するかのように、胴体に直接穴があけられた抽象的な形態になっている。

これらの極端な穴は、同時代の優れたイギリス人彫刻家バーバラ・ヘップワースの作品と同時並行で試みられたものだった。


ヘップワースは、ヘンリー・ムーアの初期の個展の展覧会評を誤読して、ためしにトルソに穴を開けてみたといわれる。



ムーアは、パブリック・アートとして世界中にたくさん設置されているブロンズ製の抽象的なモニュメントで世間によく知られている。


 

その題材はふつう抽象化された人体像、とりわけ「母と子」や「横たわる像」である。

 

興味深いことに、1950年代に家族群像に少し手を出した以外、その題材はほとんどいつも女性の体だった。


 

ムーアのつくる人体は穴が開いているか、空洞を含んでいることが特徴的である。

多くの人々は、横たわる人体の起伏にとんだ形を、ムーアの生まれたヨークシャーの、丘の連なる風景から参照されたものだと解釈している。

ムーアの姪が「なぜそんな簡単な題名なの?」と尋ねたとき「芸術というものは種のミステリーと観客を引きつける要素をもっているべきだ。


はじめから謎を明かすような、あまりに直接的なタイトルを付けると観客がその意味を深く考える間もなく次の作品に目を移してしまうだろう。

まぁ見ている事には違いないが、実際は見てはいないのと同じさ。」と答えたという。



ムーアの初期の作品は模型を作らず直接作品を彫ること(ダイレクト・カーヴィング)に焦点を置いており、ムーアが木や石の塊を何度も彫る事で彫刻の形が次第にできあがってくるものだった。

1930年代にムーアはハムステッドで供に暮らしながら、お互いに新しい考え方に共感するヘップワースや他の数人の芸術家とモダニズムへ移行していく。



ムーアはおのおのの彫刻をする準備として多くのスケッチや素描を描いた。これらのスケッチは現存しており、彼の創作に対する方向性をかいま見ることができる。

1940年代の終わり頃には粘土や石膏を使った模型(マケット)を作ってから、蝋型法でブロンズ像の鋳造の仕上げに入るようになっていった。

第二次世界大戦後、ムーアのブロンズ像は、特にパブリック・アート制作の注文に応えて、モニュメント並みの規模になっていった。


 

その作業をこなすため直彫りをあきらめ雛形を作るため助手を何人か雇い入れることになる。

ハートフォードシャーのマッチ・ハダムの町に買った農家の住まいには、自然のオブジェ(頭蓋骨、流木、小石、貝殻)がコレクションされ、そういった有機体の形からインスピレーションを得ていた。



特に大規模な作品の場合、まず半分のサイズの模型を造ってからスケールアップしていくという手法をとった。

鋳造の前に実物大の石膏模型が作られることも多く最終的な形の調整、チェックを行っていた。

 



 

全長約14mの巨大レリーフの屋外展示

 

説明プレートを見ると、真ん中のレリーフが「アポロンと瞑想」、左右のレリーフが一対で「走りよる詩神たち」。


 

1910年にパリのシャンゼリゼ劇場のために制作、本作品は、パリのブールデル美術館にある石膏像をもとに鋳造されたとの事。



 

ハートフォードシャーのマッチ・ハダムの町に買った農家の住まいには、自然のオブジェ(頭蓋骨、流木、小石、貝殻)がコレクションされ、そういった有機体の形からインスピレーションを得ていた。