清水駅前
静岡市清水区真砂町にある東海道本線の駅で旧・清水市の中心駅で、駅前には清水駅前銀座商店街が有る。


 

蔀戸(しとみど)の有る家 志田邸

静岡市清水区蒲原にある建築物。
1700年(元禄13年)に東海道の蒲原宿に建てられ、1855年(安政2年)に住居部分が再建された。

 

2001年(平成13年)8月28日に志田家住宅主屋(しだけじゅうたくしゅおく)として登録有形文化財(建造物)に登録された。

 

志田家は江戸時代の慶長年間から東海道の蒲原宿で米などを扱っていた商家である。1700年(元禄13年)に志田邸(志田家住宅主屋)が建てられた。
 

 

 


志田家は1842年(天保13年)に醤油醸造を開始し、山六醤油(やまろくしょうゆ)の銘柄で昭和初期まで製造・販売を行っていた。
主屋部分とは別に醤油工場建屋が現存している。


2001年(平成13年)8月28日には志田家住宅主屋として国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

この後に志田家当主の志田威により一般公開が開始され、室内には幕末の練天神や昭和期までの駿河天神人形のほか、挟み箱、陣笠、食器、箱枕などの生活用品、年貢皆済帳などの資料が展示されている。

2020年(令和2年)6月、日本遺産に認定されたストーリー『日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)の構成文化財となった。




建築
主屋部分は「通り土間一列型」と呼ばれる江戸期の典型的な商家建築だが、蔀戸(しとみど)、箱階段、1畳半の大畳、野郎畳、囲炉裏、通り土間などが現存している。

明治期に増築されているため、江戸期と明治期の建築を比較して見ることが出来る。住居部分は1854年(嘉永7年)の大震災(安政地震)で一部が倒壊し、翌年の1855年(安政2年)に再建されている。


 

いまや知る人も少なくなった扉「蔀戸(しとみど)」
平安の時代、貴族が住んでいた寝殿造りの絵図を見ると、戸外からの雨や風を遮断するとともにプライバシーを確保する扉としてもっぱら「蔀戸(しとみど)」が使われていました。


 

これは柱と柱の間に建て付け、昼間に採光を得たいときには上に跳ね上げながら金具で止める木造格子に板を貼った扉です。

経年とともに、敷居の溝に沿って扉が移動する引き戸が主流となりましたが、江戸時代の商家になっても蔀戸が使われる場合がありました。



 

これは道行く通りから、販売する商品や職人が細工をしている模様が見えるよう、店の間口をできるだけ大きく開くための工夫です。

また、蔀戸には小さな扉が作りつけられていて、下に降ろした後の夜間や閉店時にはそこから出入りができる造作がされています。


 

駿州の旅ベンチ/弥次喜多道中 駿州の旅
日本初の「旅の大ブーム」の火付け役は、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」であり、歌川広重の描いた「東海道五十三次」の浮世絵であった。


 

「滑稽さ」「怖いもの見たさ」そして美味しい「名物」に引き寄せられるのは人の世の常。

日本の「ガイドブックの原典」とも言われる「浮世絵」「滑稽本」に惹かれ、自由な移動が制限される江戸時代でも人々は物見遊山の旅へいそいそと出かけて行った。


 

弥次さん喜多さんの(弥次郎兵衛と喜多八)「旅の楽しさ」は今もここ駿州で体感できる。