用水路
水路の仕組みを単作。木材で壁が作られた水路。


実際に外の復元された水路を観察すると、水は北から運ばれてきた後、南と西に分岐し、小区画の水田ごとに水の取入れ口も作られていた。

川やため池の水を農地(水田)まで運ぶのが用水路です。


 

用水路は水の道路のようなもので、木の枝のように幅の広いものから狭いものへと枝分かれしていき、最後には水田まで通じています。

 

水田に入れた水は、稲の成長に使われますが、一部は地下へ浸透して、地下水になったり、蒸発したりします。


 

田作りの杭と矢板
田作りとは、お米を植える前に田んぼを準備することです。

・田んぼを耕す「田起こし」
・水田の水が外に漏れないようにする「畦(あぜ)塗り」
・基肥という、稲に必要な栄養を土に加える「田すき」
・水を入れて田んぼを均一にし、土を柔らかくして苗の根が張りやすいようにする「代(しろ)かき」



矢板(やいた)とは、地面を掘った時に土が崩れないように支えるための板のことです。これらの板は、主に鉄や鋼材で作られ、地中に縦に打ち込まれます。

矢板は、長い板状の部材を隣同士で連結させて、土や砂を抑える壁を作るために使用されます。



 

↑ 登呂博物館内に描かれた稲作の様子 ↓

 

杭かけ
刈ったあとの稲の束を田んぼに立てた杭をはさむように交互に積み、乾燥させる作業のこと

 

 

登呂遺跡の稲作
赤米田植え体験
特別史跡登呂遺跡に復元された水田において、古代の米の一種と考えられている赤米の田植えを行う。


 

↑ 登呂博物館内の田植え体験スペース ↓

 

この田植え体験では、苗を植えるほか、弥生時代に稲作に使われていたと考えられる「田下駄」「鍬」などの木製農具のレプリカを実際に利用し、当時の弥生人になりきって、当時のコメ作りに挑戦してもらう体験プログラム。


 

赤米収穫体験(1.穂刈体験 2.石器づくり体験)
特別史跡登呂遺跡に復元された水田において、実際に穂が実った赤米の収穫の体験ができる。

この収穫体験では、弥生時代のコメの収穫方法であると考えられている「穂首刈り」という方法で、稲穂を摘んでいく(1.穂刈体験)。

稲穂を摘むにあたっては、「石庖丁(いしぼうちょう)」と呼ばれる石器を用いて行う。また、実際に自分でこの石庖丁を作る体験(2.石器づくり体験)も用意している。



 

↑ 登呂博物館内に描かれた生活の様子と復元土器 ↓

 

 

プログラムセールスポイント
【1】赤米田植え体験、

【2】赤米収穫体験(1.穂刈体験 2.石器づくり体験)共通
登呂遺跡は、弥生時代の稲作を中心にした集落であり、現在は住居や倉庫などの建物や水田を整備し、弥生時代の「登呂ムラ」を復元している。

ここでは、弥生時代にタイムスリップしたかのような雰囲気を楽しむことができる。


 

田下駄
水田で作業するときに、足が沈み込まないようにした道具。履物の下駄の起源になっているとする説があるが、田下駄は農機具であり、履物とは区別すべきとされる。


 

田下駄の具体的な用途は不明である。履物の下駄に近い形状のものとかんじきのような形状のものがある。

歯のない板状の履物が出土しており、田などで使用されていたとみられている。日本では弥生時代後期の遺跡から多く出土している。



 

しかし、土地改良の進歩と牛馬による畜力の使用が一般化すると衰退し、農業機械の発達のため姿を見られなくなった。

芹沢銈介と沖縄展
20世紀日本の代表的な工芸家として内外から高く評価されており、静岡市立芹沢銈介美術館が開設されている。



 

30歳代半ばから染色を手掛けるようになった。オリジナリティあふれる作品群を生み出したほか、本の装丁など商業デザインも手がけた。ビジネス面での優れた企画力を持ち、第二次世界大戦後の布不足下では和紙の型染カレンダーを製作してヒット商品とした[2]。また、その選美眼で世界各地の民芸品や工芸品、美術品を蒐集した。